千駄ヶ谷にある河出書房新社が神楽坂に引っ越しするという。

コールデンウィーク明けのこと。

新しい本のチラシを持って行った。このあと、5月まで、

多分、河出に直接出向かねばならないような用事はないだろう。

千駄ヶ谷は私が自分で本を作り始めてから、20数年にわたって

通い慣れた場所で、副都心線の北参道の駅から、この場所に行く途中に、

昔好きだった女の住んでいるマンションがあり、

その建物の前を通るたびに、心がざわつく、千駄ヶ谷はそんな場所だった。

先日、河出書房に行ったついでに、通りの並びのラーメン屋ホープ軒で

最後になるかもしれないと思って、ここのラーメンを食べた。

相変わらず、うまい!

ここのラーメンは、ジャンルでいうと、東京とんこつラーメンというべき。

こういう麺を使っている。

 

            麺は自家製で独特のコシがある中太麺。

            特徴的な麺は、店舗4階にある製麺所にてお作りしています。

            食べ応え抜群でボリューム満点です。

 

最近は、ダイエットのこともあり、できるだけラーメンを食べないようにしている。

このラーメン屋は偶然、10年ほど前に死んだ杉村太郎と顔を合わせたところ、

彼のがんが再発して、死ぬ直前のことだったと思う。

その思い出もあるが、

マガジンハウス時代も深夜帰宅で、時々高速道路に入る前に、

ホープ軒の前でタクシーに止まってもらって、ラーメンを食べた。それも懐かしい。

これがホープ軒。

目の前に国立競技場がある。

ホープ軒の由来は、ホームページによれば、次のようなことである。

 

            当店の始まりは、昭和35年に屋台を借りたのがきっかけです。
            当時はラーメンが日本に根付き始めたばかりの頃。
            1杯50円でご提供し、さまざまな人に親しんでもらえる
            ように、赤坂や新橋、渋谷の周辺で屋台を引いていました。

            昭和50年からは現在の千駄ケ谷駅から徒歩7分の
            ところに店を構え営業しております。

 

古い話になるが、私がホープ軒のラーメンを初めて食べたのは昭和45年、

月刊『平凡』の編集部に入った頃のこと。俳優の沖雅也の担当になって、

当時、新橋にあったNHKの裏口で、真夜中に取材を終えて、沖雅也と二人で

出入り口の屋台で美味しいラーメンを食べた。

これがホープ軒のラーメンだった。

沖雅也も新宿の高層ホテルから身投げして死んでしまった。

アレからもう40年以上経つ。

河出書房が神楽坂に引っ越したら、

もう、千駄ヶ谷のここに行くこともないだろうし、

ホープ軒のラーメンを食べることもないと思う。

…………

先日、さまざまの思いを込めて、これが最後かもしれないと思いながら

ホープ軒のラーメンを食べた。

1000円だった。55年前は50円だったというのに。

物の値段の変化にも驚く。そのこともあって

時代がドンドン変わっているのだということをヒシヒシと感じる。

千駄ヶ谷は、昔、愛した人が今も住んでいる街だった。

さらば、千駄ヶ谷

そういう思いに突き動かされている。

この話、ここまで。