テレビの話である。
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先日(J-f♯210111)、テレビの話を取り上げて、こういうことを書いた。
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テレビは儲けすぎではないか。ちょっとコマーシャルにでて3千万円とか、一時間番組出演料一本120万円とか400万円とか、俳優やタレントたちは儲けすぎではないか。しかもメディアはそういう人たちを〝憧れの人〟扱いしている。そのお金は大衆を消費行動に扇動して得る報酬なのである。………
テレビに出て来る評論家たち(コメンテーター)もそのことについては、自分のことでもあるので発言しない。資本の自己運動についての批評能力を喪失してしまっている。どっか狂っているような気がするのだが………局の正社員の給料やタレントの出演料など全部、これまでの半額ぐらいにして、資本の回転率を下げて、大衆文化の過熱をなんとかした方がいい。経済的に困っている人たちを助けるのはまた別の話だが、これまでの文化の形を変えないといけない時期がきたのではないか。そうしないと、本当にこの戦争は終わらないのではないか。
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そうしたら、石井が編集蝶をやっている某週刊誌が今週、こういう記事を書いた。
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日テレが大規模な「人員整理」に取り組もうとしている。対象は局員ではない。タレントだ。「コロナ禍でCM出稿が激減したことが大きな原因です。昨年9月期の中間決算において、日テレは売上高が前年同期比16・8%減の1744億円、純損益が56億円の赤字に転落しました。 事態を重く受け止めた上層部は、昨年10月、GP帯(19時〜23時)および帯の情報番組の年間製作費をそれぞれ1億〜2億円削減するように現場に通達したのです」(全国紙経済部デスク)
そこで、高額な出演料を貰うタレントたちがコストカットの対象になったわけだ。すでに事態は動き出している。3月いっぱいで、『真相報道バンキシャ!』の司会を務めていた福澤朗(57歳)と『スッキリ』でサブ司会を務めていた芸人の近藤春菜(37歳)が降板する。 「福澤には一本あたり約100万円のギャラが支払われていたので、降板すれば年間約5000万円も浮く計算になります。後任に就任するのは桝太一アナ(39歳)ですが、局員なので人件費はまったくかからない。局アナでも視聴率が稼げるとわかれば、今後、情報番組に芸能人は起用されにくくなるでしょう」(日テレ関係者)
福澤や近藤だけではない。GP帯で放送されているバラエティ番組には、日テレが次の標的としている「大御所タレント」が2人いるという。「『世界一受けたい授業』の堺正章(74歳)と、『世界まる見え! テレビ特捜部』のビートたけし(73歳)です。どちらも毎週レギュラー出演していて、堺は一本約200万円、たけしは一本約400万円と出演料が破格です。 製作費の削減ができなければ、番組が打ち切られる可能性は非常に高い。いま、水面下では事務所と必死のギャラ交渉が行われています」(同) タレント業界にも「緊急事態宣言」が発出されそうだ。『週刊現代』2021年1月23日号より
★★★
コロナによる社会全体の経済収縮をうけて、
テレビの世界でもダウンサイジングが始まった。
テレビは番組制作の構造が下請け制度になっていて、
テレビ局とは別に制作会社があるから、
予算の調整はそれほど難しくない。局本体の正社員のリストラや
給料カットはまだ先の話だろうが、最初におこなわれるのは
タレントたちのリストラ。
資本の本質は実は冷酷で無慈悲なものだ。
経験を積んだベテランやキャリアによって大物扱いされてきた人たちが、
のきなみ、この〝大調整〟の激浪を受けることになる。
この先に待っているのは、これまでの経験や履歴がまったく通用しない
大衆にとって、新鮮で刺激的な、しかも出演料の安い
才能のあるタレント達が活躍する世界だ。生き残るのは、
コロナによって現出する新しい世界観、価値観に順応してやっていける
大衆の微妙な心情を表現出来る才能を持った人たちだ。
それこそ、本当のタレント(才能)である。
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これから始まるのは多分、
芸能プロのマネジャーたちが自分たちの方から
ギャラの値下げを提案する世界である。
芸能界は猛烈な勢いで姿を変えていくだろう。
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いまや広告に依存して成立する電子メディアは
テレビだけではなくなって、SNSとかネットの世界で
さまざまの形で商業活動が成立するようになっている。
そこに依存して、ジャニーズ事務所や吉本興業を辞めていく
タレントたちがあとを絶たない。もちろんコロナのこともあるが、
それとはまた別の原因で、テレビは追いつめられている。
先日のテレビのところではこういうことも書いた。
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テレビはもともと、スポンサーのものだと思うが、競輪、競馬、競艇、宝くじ、……その手のコマーシャルが多すぎる。そのほかにもゲームのCMとかサラ金の宣伝とか、ネットのなかの漫画サイトのコマーシャルとか不要不急の雑事を排除すべき時代であるはずなのに、放送されているのは生活というか、消費の射幸心を煽るものばかりだ。「買い物はやすらぎだ」などというコマーシャルまである。そういう広告も、平穏な時代なら生活の息抜きだが、いまは一種の戦時下、いつB29が空襲して爆弾を落とすかわからない。できるだけ防空壕にじっとしていて、外出するなら防毒マスクもして、なんとか生き延びなければならない緊急時だというのに。
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わたしにもこの先、何がどうなるかわからないが、
これから、大衆文化の激変の時代がはじまろうとしていることだけは確かだ。
テレビの関係者や芸能プロダクションの人たちはわたしの言説を
「対岸の火事みたいなことを書きゃがって」と思っているだろう。
しかし、多分、この風潮はやがて出版の世界にも押しよせてくるだろう。
どういうことになるか、わたしにもわからないけど、多分、
みんなの生活に本当に必要なもの以外は淘汰の対象になるのではないか。
この話、つづく。続編はすぐには書けないけど。
とりあえず、この本。
結局オレもコマーシャル依存だったりしてネ。