今日は思い出語り。

沈黙図書館の文書資料の一つ。

2004年5月に百瀬博教さんからもらった手紙。

彼は億劫がってほとんど手紙というものを書かない人だった。

幻冬舎から上梓した詩集『絹半纏』を贈呈本してくれた。

本人が封書書きしたもの。

五月にこの本が出たばかりだった。本の帯に

「想い出に節度のない俺は生ある限りお前を忘れない」

と書かれていた。普通、便箋になにがしかをしたためるが、

百瀬さんの場合は、要件を封筒の裏に書いていた。

わたしに向かって、「生ある限りお前を忘れない」と言っているような気がした。

それでも、わたしは、百瀬さんに連絡を取らなかった。

その一年後、彼の秘書の女性から電話がかかってきて、

「百瀬が会いたがっているんです」

 といってきた。わたしが『KUROSAWA』の一冊目を

河出書房から出版した後、2005年の春のことだった。

定価457円(税抜き)の幻冬舎文庫の『詩集 絹半纏』は、

絶版になっていて、アマゾンでいま2500円で売られている。

本チャンの『詩集 絹半纏』は1986年(昭和61年)に

大型本の体裁で、限定私家本として出版された。

こちらはアマゾンには出品がない。

何部残っているか不明だが、たぶん稀覯本扱いだろう。

前出の百瀬さんのわたし宛の封筒には、

わたしが日本刀を振り回して付けた刀傷がある。

中に入っていた幻冬舎版の『詩集 絹半纏』の表紙にも斬られた傷がある。

どうして、この本を刀で斬ろうとしたか、思い出せない。

わたしにも狂気に駆られてメチャクチャをやることがあるのだ。

なにかで、百瀬さんに腹を立てたのだと思う。

……

詩集の中の、わたしが好きな詩編を一つ紹介しよう。

「あかさか」という題が付いている。

 

       ビルの谷間に掛かった 歩道橋を渡っていく 紅い日傘

       街の空気を裁ち切って そこだけがぽっかりと浮かんでいた

       山王が桜の名所だったのは遠い昔 葦が茂っていた弁慶橋の

       水際も巨大な鏡のようなプリンスホテルの壁に太陽が反射して

       アメリカンカラーのオレンジ色に染まっていた停止して

       動かなかった車の列が緩やかに動き出すとすぐさま大河となった

      「用心棒をしていたナイトクラブで力道山が殺されたのは二十歳の冬」

       いくつもの信号が色を変え立ち止まるたびにすばやく時が走りすぎた

 

わたしの持っている、刀傷のある幻冬舎の『絹半纏』は

売値2500円というわけにはいかないかも知れない。

それでも「近々会いたい」と書かれた封筒とセットにしたら、

多少の文学的な付加価値が付けられるのではないか。

 

Fin.