編集者から作家に転身してまもなく20年たつ。

先日の[J-f#200318① 桐山秀樹と六本木ヒルズのこと]のつづき。

 

桐山が死んでしまってから4年たつ。彼の死亡記事。

桐山秀樹。享年は62歳。

大事なスタッフのひとりだった安原に死なれて、桐山のことを思いだした。

桐山もわたしのマガジンハウスの編集者時代の終わりの頃、

一番大事なライターだった。

…………

彼といっしょに作った『ガリバー』の別冊。右は最終頁のスタッフリスト。

わたしの名前のすぐ下に桐山の名前がある。

このムックは六本木の青山ブックセンターなどではベストセラーになった。

当時、わたしたちは二人で昭和の無頼の作家・永井荷風に憧れて

[墨東同盟]という〝自称〟秘密組織を結成して、荷風の真似をして

始終、浅草の街をうろついた。元ガリバー編集部で

いまはパリで生活している(東京にもどった?)大鹿久美子や

いまは筑摩書房で女社長をやっている、当時は書籍編集部でわたしと

席を並べていた喜入冬子などを誘って、

浅草の牛鍋やや両国の吉葉(ちゃんこ鍋や)で痛飲快食した。

[墨東同盟]の運動方針は〝いい女とお付き合いしたい〟という

かなりいい加減なものだった。

桐山がどのくらい女が好きだったかはよくわからないが、

わたしの「いい原稿を書きたかったらいい女と恋愛しなければいけない」という

相当いい加減な理論に「うんうん、そうそう」と相づちを打ってくれた。

それからわたしは彼にボードリヤールやハイデガーや吉本隆明の思想談義を

アレコレと話して、現代の日本文化をどうとらえるべきか、

なんて話をしてあげたのだが、桐山はわかっているのか、

なにを言っているのかわからないのか、

「うんうん、はいはい」と相づちを打ちながら話を聞いてくれた。

 

彼のためにわたしが編集してあげた単行本。これはあまり売れなかった。

2002年、わたしは編集者をやめて作家になった。それで

桐山とのつき合いが途切れた。いまから思うと、

かわいそうなことをしたと思う。

フリーランスにしたら、信用してつき合っていた社員編集者が

自分と同じフリーランスになって商売敵になってしまったのだから、

内心は忸怩たるものがあったのではないか。

桐山がどういうレベルのライターだったかはここでは書かないが、

いろいろに苦労して、糖質制限ダイエットでひと山当てたのである。

ベスト・セラー。

何部売れたかはわからないが、相当儲かったはずである。うらやましいね。

桐山から年賀状が来た。

これが亡くなる前年。

桐山は軽井沢で誰かの別荘を借家して暮らしていて、

もう二十年くらい前になるが、「遊びに来ませんか」と誘われて、

軽井沢に日帰りで遊びに行っていっしょに温泉に入ったことがある。

その時、彼の裸を見て、肥満していて腹が出ていて、

身体の形がくずれているのをみて、

コイツ大丈夫かな、と思ったことがあった。

そしたら、後から聞いた話だが、糖質制限ダイエットという

処方に出会ったのも糖尿病になったからだったという。

ダイエットで短期間で20キロ、体重を落としたのだった。

…………

出張先のホテルで心臓麻痺を起こして死んだ、ダイエットは関係ありません

という死後の奥さん(内縁の妻?)の文藝評論家の吉村祐美さんのコメントが、

新聞に載っていたが、誰も信用しなかったのではないか。

それでも、写真を見ると20キロ痩せた桐山は昔と違いちょっとカッコよかった。

亡くなったときに、わたしには連絡がなかった。後から調べてわかったのだが、

糖質制限ダイエットの話だけで20冊以上の著作があった。

わたしは桐山はやりすぎたのだと思う。気持ちはわかるけど。

吉村さんよりわたしの方が桐山とのつき合いは古いはずだが、

わたしは奥さんと面識はなかった。

何か言われると嫌だと思って、わたしを吉村さんに

会わせなかったのかも知れない。

★★★

それでも、あれだけ熱望していたベストセラーを出して死んだのだから、

本望と言えばそうもいえるかもしれない。

いずれにしても、現代のマスコミのなかで作家を名乗って生きていくのは

大変な難行である。そのことについて、桐山が苦労していた

色々な思い出があるが、それはここでは書かない。

その意味では桐山は[マスコミ戦争の犠牲者]と書いてもいいかもしれない。

いまさら冥福を祈るでもないが、心臓麻痺で倒れたというから、

そう苦しまないで死んだのだろう。

それは良かったと思う。いきなり名前を出すが、

原発不明ガンで苦しんで死んだ杉村太郎なんかより

幸福な死に方をしたかもしれない。

死んだ人間のことばかり書いているのはやはり、年を取った証拠なのだろう。

それでも、やはり、桐山のことも安原のことも杉村太郎のことも、

とつぜん名前を出すが百瀬博教さんのことも忘れられない。

 

わたしが生きて、原稿を書き、本を作りつづけている限り、

わたしのなかの彼らは死んでいない。わたしはそう思って仕事している。

…………

桐山の話はここまで。

Fin.