ヒデキのおそらく、みんな見たことのない写真です。

この企画がどういう経緯で作られたか、細かな経緯は分からない。

芸能週刊誌という雑誌ジャンルがかつて存在したのだが、その代表格であった『週刊平凡』という雑誌の1983年3月24日号に掲載された5ページのカラーグラビアである。連載企画だったらしく《愛すべき男たち5》撮影・立木義浩とある。

立木さんは、オレも何度かいっしょに仕事しているが、いまも日本を代表する巨匠カメラマン。当時は、昭和三〇年代から様々の形で雑誌の広告や編集の世界で先駆的な仕事をしてきた写真家だった。

1983年の3月末がどういう時期だったかを簡単に説明すると、西城秀樹にとっては、所属していた事務所から独立して個人事務所を持つことになった、ちょうどそのころだったはず。28歳から29歳になるところである。

このへんの事情は[J-f#915]、[J-f#916]や[J-f#917]を読んでもらうと分かる。デビュー10年で完全に大人のタレントに脱皮するべき時期にあった。ヒデキが大人のタレントに脱皮するべき時期を迎えていたのと同様に『週刊平凡』も転換期を迎えていて、かつて、60万、70万部という発行部数、あったモノがこの頃、30万とか35万部とか、往時(70年代末)の半分位にまで減少してきていて、雑誌をリニュアルせざるを得ない状況に立ち至っていた。

シオザワはこのころ何をしていたかということについて書くとオレはまだ『週刊平凡』の編集記者だったのだが、確かこのころ、三月の末に人事異動の内示を受けて(というか打診されて)『週刊平凡』の編集部から『平凡パンチ』編集部に異動が決まっていたころだと思う。芸能記者を卒業したころで、移動先では役職者(特集キャップ)になることが決まっていた。このころ、かつては百万部雑誌だった『平凡パンチ』も『週刊平凡』と同じような部数減に悩んでいて、オレはそっちの雑誌の立て直しをやりなさいと会社からいわれ、管理職に昇格することになっていた。そういう意味では、ヒデキと同じような立場にあった。そういうふたりが、[J-f#720]で書いたように、半年後の秋、ギリシャのロードス島へと旅行することになるのである。

 

写真に添えられたキャプションは赤字で読みにくいが、次のように書かれていた。

 

■欲情 時には甘えられる女、そして時には甘えてくれるような女がいい。どうせ男と女は気ままなものだと思うし……。俺の欲情を駆りたててくれるような、女に会ってみたい。女を見る時は、まず最初に口もと、そして足。最後は肌。直感は鋭い方だからそれでだいたいフィーリングが合うか合わないか分かるね。もちろん女の方も男である俺を同じような視線で見ているわけだから。

■遊び心 ごく自然に思うままに……、それが俺の考え方

■新生 突然に自分がまるで他人のように変わってしまうなんて考えられない。でも今年に入って、やっと自分が自分に返れるような、そんな、とても楽な気分……。

 

大人の男のタレントへと変貌するための《少年からの脱皮作戦》によって作られた。

次ページのキャプションにはこう書かれている。

 

女を愛する 深く 物を愛する 分身のように 歌を愛する 

心から楽しく そしてあらためて俺自身を愛する、いま……

 

いまはラブドールという名称で有名になったが、これは35年前、

ヒデキが28歳のときに撮影されたもの。このころからラブドールはあったんだね。

人形相手に無邪気に面白がっているヒデキがお茶目でかわいい。

それにしても思い切ったことをしたモノだ。

 

大人に脱皮していくためのマネジメントの戦略のひとつだったのだろう。当時の芸能週刊誌は芸能界で、そういう力を持っていた。

 

この企画・写真展はここまで。