岡本佳織という女優さんがいる。

岡本かおり、岡本香了とも書く。始終、芸名を変えている縁起をかついでいるのかも。

 

女優の岡本佳織さんと一番最初にどこで知り合ったか、忘れてしまったのだが、ある日、カラーの写真集の編集を面白いと思いはじめたころ、彼女に「シオザワさん、私の写真集を作ってくれませんか。トヨタがお金を出すと言ってます」といわれた。

いまから25年くらい前の話である。

これが岡本佳織。女優でA級ライセンスを持つカー・レーサーだった。

トヨタがスポンサーになってくれるならと言うことで、マガジンハウスでこの本を、社の業務として作った。

最初の企画書では『疾走』という名前の本だった。本を出したのは1994年の12月のことで、どういう経緯があったか忘れてしまったが、『美しい冒険』というタイトルになってしまった。たぶん、トヨタになにかいわれて、変更したのだと思う。
岡本佳織というのはもともとは日活のロマンポルノでデビューした女優だったのだが、そのあと、自動車レースのライセンスを取り、そのころ、毎年話題になったパリ・ダカール・ラリーに女性でただ一人、トヨタのバックアップで参戦した、レーサー&ラリードライバーだった。トヨタの広告代理店であった某社に彼女のバリ・ダカールの戦いの模様を撮影した膨大な量のフィルムが存在したのだ。パリ・ダカールラリーというのはいまはなくなってしまったが、フランスのパリを起点にアフリカのサハラ砂漠を走り抜け、ダカールまでたどる苛酷なラリーだった。

 

岡本とは原宿のレストランとか、何度もいろんなところで出会って、本作りをした。

本人はかわいくて写真もクオリティが高く楽しい仕事だった。

これが素顔の岡本。ラリーの過酷さを思わせる写真もたくさん載せた

恋愛する代わりにこの本を作った。

アフリカを走り回るレースの写真はどれも迫力があり、いい本が作れたと思う。

わたしはこのころはまだ、デザインソフトは使いこなせず、一枚づつ写真を切り貼りしてレイアウトを作ったのが、この本がわたしが企画、構成、原稿執筆からデザインまで全部一人で作りあげた、初めての本である。本はあまり売れなかったと思うが、トヨタがお金を出してくれたから赤字にはならなかった。

彼女とはいつの間にか連絡を取りあわなくなってしまった。彼女のその後については白銀でドーナツ屋さんをやってひと山当てて、大金持ちになったという話を聞いていたが、調べてみたらこんな気になるニュースがあった。一陽来復というのは彼女の会社である。


帝国データバンクによると、一陽来福は(2017年)2月15日、東京地裁から破産手続き開始決定を受けた。負債は現在調査中。2005年12月に、岡本香了の芸名で活動する女優・タレントである現代表の川上麗子氏によって、ヨガ教室の運営を目的に設立された。その後、2011年より和風ドーナツやかりんとうを主体とした和菓子の販売を主業とし、主力商品である「禅ドーナツ」の知名度が全国的に上昇した2011年7月期には、年売上高約1億9400万円を計上していた。
テレビ番組で取り上げられるなど全国的に相応の知名度を有していたものの、消費者の嗜好が移り変わるなかで売り上げも漸減し、2015年7月期の年売上高は約8800万円に減少していた。この間、販管費の削減などに努めていたものの赤字決算に陥り、借入金負担も重荷となるなか、今回の措置となった。


彼女はいま、元気にしているだろうか。女性の年の話は残酷かも知れないが、彼女の年齢を調べると55歳になっている。『ガリバー』をやっていたとき、沖縄に連れていってキレイな砂浜で水着の写真を撮ったことがあったが、あれは29年も前のことである。あの可愛かった彼女がその年齢かと思うと、わたしが70歳なのだから当たり前のことだが、心境複雑である。がんばって再起して欲しいモノだ。


彼女の消息はさておき、わたしはこの本を作ったことで、本格的にコンピューターの学校に通って(会社が授業料を出してくれた)勉強しようと思いはじめ、フォトショップやクオーク・エクスプレスの使い方を覚え、会社をやめる前から、秘かに、編集ワンマン・アーミーとしての陣容を整えていった。そして、この本を作りあげるのに前後して、会社から創立五十周年の記念企画で、『平凡パンチの時代』という本を作れと言われて、これがわたしのノンフィクション作家としての最初の作品になっていくのである。これが1995年、いまから23年前のことだった。

岡本佳織から、お誕生祝いか何かで、紺色のポロシャツをもらったことがある。

時が経ち、ちょっと古びて色落ちしたが、いまも愛用ししている。

そのポロシャツを着るたびに、可愛かった彼女のことを思い出す。

 

Fin.