今日は芸能の話。

先日、『週刊文春』が「わが青春のアイドルは誰だ?」というアンケートを実施して、その投票結果が7月26日号の誌上で発表になった。投票総数5800超、編集部としては予期せぬ大きな反響があったという話で、その男子部門の投票結果はこういうことだった。

女性部門も発表され、その第一位は山口百恵だったのだが、ここでは、男子部門の投票結果について、オレなりの分析をしてみたい。

この投票結果を見て、一番最初に思ったのは、どうして、ヒデキとジュリーだけほかの人たちを大きく引き離して、人気があるのだろうか、ということだった。昭和の時代の、昔の人気がそのまま持続している。すぐれた容貌、外見のカッコ良さもあるが、原因はもっと深いところにあり、そのポイントはふたつあるような気がする。

 

①はふたりの歌が強烈に歌を聴いた人たちの心のなかに残っている、ということ。これは歌の才能というか、歌唱力に関係がある。このふたりは歌手だが、郷ひろみ、田原俊彦は歌手兼バラエティ・タレントみたいなところがある。

それと、もうひとつ、

②は自分たちなりの自主的なマネジメントをしてきた、ということ。

 

①は要するに歌が持っていた力のことをいっているのだが、このリストに登場する人たち、全員が男女の恋愛模様を歌にして歌っているのだが、ヒデキとジュリーの歌の内容は男女の距離がものすごく近い。ヒデキの歌は「抱いてやるからいますぐ俺のところに飛んで来い」だし、ジュリーも「抱きしめたい」「あなたとはいけない関係だけど、別れるつもりはありません」というような内容の、男が見栄も外聞も捨てて求愛している歌が多い。現実に、ヒデキのそういう歌は魔力のような力を持っていて、同じ事務所だった浅田美代子、岩崎宏美は言うに及ばず、まわりのそのあと三浦友和と結婚する百恵ちゃんも、郷ひろみと浮き名を流す松田聖子も、最初はみんなヒデキのファンから始まっている。ジュリーも昔から、危険な恋愛のオーラを振りまきながら、「自分の信じる道を行きます」みたいなことを言いつづけてきた。

じつは、このふたりの背後には、作詞家の阿久悠という、昭和の大衆文化の巨人がいて、この人が、ヒデキとジュリーの歌をもっぱらに作りつづけていた。阿久サンはとにかく歌作りの名人で、「津軽海峡冬景色」とか、都はるみの「北の宿」とか、いまも残っている歌がすごく多い。阿久さんが作った[詩]を美味しい料理として作り上げるのは、歌をうたう本人たちの力だと思うが、いずれにしても阿久サンの歌を積極的にうたったのはこのリストのなかではヒデキとジュリーだけである。オレが調べたかぎりでだが、ジャニーズ事務所のタレントたちはどういうわけか、阿久サンのつくった歌をほとんどうたっていない。

たぶんこのことと②のマネージメントの問題というのは、密接に絡み合っている。

すぐに分かることだが、ランクの第6位に入っているザ・タイガースを沢田研二の延長路線の支持と考えて除外すると、ヒデキ、ジュリーの後には、郷ひろみ、田原俊彦、SMAP、近藤真彦、光GENJIと、ジャニーズ事務所出身のタレントたちがズラリと並ぶ。それも、3位、4位の郷、田原はジャニー喜多川にプロデュースされてデビューしながら、後に事務所に反旗を翻した人たちで、いまやSMAPも同じようなところがあるのだが、ジャニーズ事務所のマネージメントを途中で裏切って、自力で生きていこうとした人たちが支持を集めている。最後まで事務所にとどまった近藤真彦は田原俊彦にだいぶ水をあけられている。これはなんなのだろうか。

結果論になってしまうのだが、これを見ていると、ジャニーさんはたくさんタレントを作り出したが、結果、どの人も西城、沢田クラスの巨大なアイドルと比較するとちょっと見劣りする結果になっている。郷ひろみでさえも、西城、沢田の三分の一程度の支持しか集められなかった。

ジャニーさんはかつてオレに「いいタレントをたくさん作りたい」といったが、こうやって何十年もの時代が経過してみると、マネジャーや事務所の手腕である程度のタレントは作ることができるが、本当に力のある歌手だったり俳優だったりはつくるものではない、ということかも知れない。そもそもがひとりの人間なのである。強靱な生命力を持つタレントはもっと自力的な、本人が事務所と対立的な関係になっても自分の生き方を貫く、タレント自身がそういう判断力、思考力を持ちながら努力する、そういう状況のなかで出来上がっていくものだということが分かる。つまり、ヒデキとジュリーは作られたのではなく、自分で一生懸命に考えて、そうなっていく道を選んで、こうなったのだと思う。

もっとも、これは一つには『週刊文春』の主な読者はどういう人たちか、ということと関係があり、たぶん、昭和の三十年代に生まれた人たち、つまりいま、50歳〜60歳くらいの、ちょうど百恵ちゃんとか松田聖子さんなどと同世代の人たちが多いのではないかと思う。これが、いま三十代の人たち、四十代の人たちで同じような〝青春アイドル〟の選定が可能か、ということになると、その人たちは芸能アイドルの選出自体にそれほど大きな意味を感じないのではないかという気がする。つまり、アイドルと大衆が直接に結びつく、その構図自体がアナログというか、1970年〜80年代的なのだろう。これは、タレントの側もファンも幸せな時代にいた、ということかも知れない。

このリストのなかでは、現在人気絶頂といわれている、嵐や熱狂的なファンがいるといわれているKinki Kidsでさえ、ベスト20に辛うじて引っ掛かっているような状態である。これも、いまの嵐に、ヒデキやジュリーを熱狂的に支持するようなファンがどのくらいいいるかといったら、ジャニーズ事務所の仕切っているファンの気質はそれなりだが、ジュリーのファンのような、何があっても彼の後をついていく、というような一徹さはないかも知れないと思う。それは、先日のTOKIOの山口達也の事件でも感じたことだった。オレに言わせると、ジャニーズ事務所のタレントたちは、マスコミの世界の深いところに住みすぎなのである。お金を稼ぐにはその方が手っ取り早く効率がいいのだろうが、テレビのバラエティ番組にいくら出ても、商品のコマーシャルにいくら出ても、芸能人=表現者としてのコアな魂の部分は育ってはくれない。本物のアイドル、スターとテレビというメディアとはどこかに相容れないところがあるのだ。ジャニーはそのことをたぶん分かっていると思う。

附則になるが、野口五郎がかろうじてベスト10の最後にランクインしていることについて、ゴローの場合、芝居やバラエティ番組にはあまり出ず、歌手限定で仕事しつづけていたこともあるのだが、この人は歌の職人みたいなところがあり、そのへんがヒデキや郷ひろみと大きく違っている。音楽的には「針葉樹」とか「武蔵野詩人」とかすぐれた歌なのだが、ゴローはみんなが真似して歌えない歌を朗々と歌って見せて、自分の歌唱力をまわりに見せつけているようなところがある。

ゴローの歌は芸術性は高いのだが、素人は誰もゴローが歌うようには歌えない。

①の歌の力ということでいうと、「私鉄沿線」でもそうなのだが、歌われている男女交際の距離感のなかに、肉体関係を連想させるような生々しい、恋愛のリアリティがない。つまり、歌が直情的でなく、女を口説くのが下手な男が歌っているラブ・ソングのようなところがある。あまりリアルなことは書かないが、実際、女を口説くのが下手だったのではないかと思う。

新御三家というくくりについていうと、三人それぞれ、そう呼ばれることでメリットとデメリットがあったと思うが、ヒデキはデビュー当時、一年先輩だったゴローとのつながりで新御三家の一員になったし、郷ひろみもヒデキ、ゴローとのライバル関係のなかで新御三家のひとりになった。そういう経緯のなかで、新御三家はゴローを中心に成立したが、長い目で見ると、ゴローにはヒデキ、ヒロミとの組み合わせのなかで人気が落ちなかったところがあって、この後、一途に自分の好きな音楽に打ち込むことの出来たゴローが一番得したかも知れない。

★★★★★★★★★★

このリストをあらためて見返して、感じるのは、時間てけっこう残酷だな、ということだった。リストのなかの人はどの人も一世を風靡した人たちばかりで、錚々たる人たちが名を連ねているが、このほかに、いま急には思い出せない、膨大な量の忘れられてしまった人たちがいる。簡単にいって、こうやってヒデキとジュリーがリストの最高位に残っているのは本人たちがいまもステキだからだろうが、そのステキも昭和、平成と変わらずつづいてきた[ステキ]だったということなのだろう。そのステキも最後は人間的なことで、なんか見た目のかっこよさだけではないのではないかという気がする。

 

なんだか結論が中途ハンパになってしまったが、今日はここまで。

 

Fin.