この写真は元邑舎の元村和彦さんが編集して作った、ロバート・フランクの写真集『私の手の詩』のなかの衝撃的なひとこまである。

ロバート・フランクはオシャレなファッション写真が中心だったアメリカの写真界に表現の革命を起こしたと言われているフォトグラファーだ。

短期間で終わってしまったが、わたしと邑元舎・元村和彦さんと交流について書いておきたい。じつは昔の資料を整理していたらこんな宅急便の伝票が出てきた。それで、彼のことを思い出した。

発送の日付が17年12月3日とあるが、これは2017年ではなく平成17年、つまりいまから13年前のものだ。元邑舎・元村和彦とは何者なのか。

『日本美術年鑑』平成27年版の508頁)にこういう記載がある。

 

元村和彦は、出版社邑元舎を主宰し、写真集の出版を手がけた写真編集者。
1933(昭和8)年2月11日佐賀県川副町(現、佐賀市)に生まれる。51年佐賀県立佐賀高等学校を卒業後、国税庁の職員となり佐賀、門司、武蔵野、立川、世田谷の各税務署に12年にわたって勤務する。60年、東京綜合写真専門学校に3期生として入学、卒業後引き続き1期生として同校研究科に進み、校長の重森弘淹、教授を務めていた写真家石元泰博らに師事した。
70年、W.ユージン・スミスが日本で取材した際に助手を務めた写真家森永純の紹介で、スミスと知り合い、スミスの写真展「真実こそわが友」(小田急百貨店他)の企画を手がけた。同年秋に渡米、スミスの紹介で写真家ロバート・フランクを訪ね、写真集出版を提案し同意を得る。71年、邑元舎を設立し、72年10月、『私の手の詩 The Lines of My Hand』を刊行。杉浦康平が造本を手がけた同書は、フランクの16年ぶりの写真集として国内だけでなく海外でも広く注目され、後に一部内容を再編したアメリカ版およびヨーロッパ版が刊行された。その後フランクの写真集としては、87年に『花は…(Flower Is…)』、2009(平成21)年には『The Americans, 81 Contact Sheets』を刊行した。邑元舎からは他に森永純写真集『河—累影』(1978年)が出版されている。97年、邑元舎の出版活動に対して、第9回写真の会賞を受賞。

20世紀後半の最も重要な写真家の一人であり、58年の写真集『アメリカ人』が、その後の写真表現に大きな影響を与えたにもかかわらず、映画製作に移行して写真作品を発表していなかったロバート・フランクに、元村は新たな写真集を作らせ、結果的にフランクに写真家としての活動を再開させることになった。これは写真史上特筆すべきものである。フランクとの親交は生涯にわたって続き、写真集の原稿として提供されたものの他、折に触れてフランクより贈られた作品等により形成された元村のフランク作品コレクションは、元村の晩年、東京、御茶ノ水のギャラリーバウハウスにおける数次にわたる展示で紹介され、その中核である145点の作品が、16年に東京国立近代美術館に収蔵された。2014年8月17日に死去した。享年81。

 

元村さんと知り合いになったきっかけはわたしが上梓した『KUROSAWA』という日本映画のノンフィクション小説だった。確か、手紙をくれて「とても面白い本だが、誤植が多い。校正を手伝ってあげます」といってくれたのである。『KUROSAWA』は全三巻、14年前、2004年の刊行で、わたしのフリーランスのノンフィクション作家としてのデビュー作になった作品だった。

これも茉莉花社=河出書房新社・連合軍から出版された書籍なのだが、とにかくスタッフが揃わず、私もマガジンハウスを独立して本格的に書籍出版に取りかかったばかりで、誤字誤植だらけの本を作っていたのである。元村さんは、それを見かねて連絡をくれたのだった。

わたしはそのとき、いまやその無知を恥じているのだが、当時はネットでの検索もいまほど完全ではなく、元村さんを物好きなおじいさんが協力を申し出てくれたぐらいにしか考えず、『KUROSAWA』の第三巻「撮影現場篇」の校正をお願いした。おかげで、『KUROSAWA』は全三巻の作品なのだが、この本だけ誤植がほとんどないのである。元村さんにも見落としがあり、あとから「申し訳ない」という手紙をもらったが、それどころではなく、確か無償で校正を請け負ってくれて、私が「いくらお払いすればいいですか」と聞いたら、「お金は要らない、このあともいい仕事をしていってください」といわれて、感激したのを覚えている。
下掲の手紙はそのときにいただいたものである。

わたしはそのとき、もちろんロバート・フランクという写真家の名前は知っていたが、その人が写真の世界でどういう役割を果たした人なのか、元村さんがロバート・フランクとどういう関係にあるのか、そういうことまでは知らずにいた。写真集は私のライブラリーのコレクションテーマの一つで、いろいろな人の写真集を持っているが、ロバート・フランクの写真集はなかった。なかったというか、どこにも売っていないのである。

これがロバート・フランクの写真集『私の手の詩』。1972年刊、定価7500円だった。写真集の序文を埴谷雄高、装幀を杉浦康平がおこなっている。50年近い昔の出版だから、もちろん、新刊本はもう手に入らない。アマゾンで調べてみたら、古本を14万5千円で売っていた。これは私が持っている本のなかで最高値。要するに、売り物がほとんどない本なのだろう。

ロバート・フランクの写真はとにかく構図が意味深く、テーマが重く、訴えかけてくるものがリアルな迫力に満ちている。アメリカの写真の世界に革命をもたらしたフォトグラファーといわれているが、写真集の頁を順に見ていくと、軽くトレンディで美しい写真が全盛だった戦後のアメリカの写真界に与えた衝撃が連想できる。

闇から明るい世界へ。少年の心模様が伝わってきそうな力のある写真だ

愚かにもわたしは、元村さんからいただいたものの重要さをそのとき、知ることが出来なかった。いただいた写真集に感動してお礼の手紙は書いたが、元村さんとの付き合いはそれ以上ひろがらなかった。先日、クロネコヤマトの発送伝票を見つけて、彼の人名を検索して、もう四年前に亡くなられていたことを知った。
あらためて、元村さんの「シオザワさん、これからもいい本を作っていって下さいね」という言葉を想い出し、慚愧の想いに絶えずにいる。元村さんのことを自分が決して忘れないようにするためにこれを書いた。

 

今日はここまで。Fin.

 

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