昨日は池袋から帰ってくる途中、火事を発見したが、今日は目白からもどってくる途中、強風と不注意で自転車で走っていて転倒し顔が地面と衝突、死にそうになった。

それであらためてオレは冒険的な日常を生きているのだなということを再認識した。

頭蓋骨が地面にぶつかったときは、これで死ぬかなと思ったくらいの衝撃。脳みそが豆腐だったら、完全に形が崩れていた。また少し、頭が悪くなったことはまちがいない。

顔がひどいことになっている。傷薬(パイロール)を塗った
このほかに、身体の約4カ所を負傷した。いずれも擦り傷でたいしたことはない。

一昨年の夏、池袋で自転車でひっくり返ったときは、身体の全体重を左手にかけて受け身をとろうとしたため、左手首を骨折した。同じ時期に自民党の谷垣さんがやっぱり自転車事故で背骨を骨折したかどうかして再起不能になっている。転倒の衝撃を1カ所で受けると、大事になるのである。わたしの場合は手首複雑骨折だったが、これは治すのが大変で、ひと月半、ギブスをして暮らした。今回は、身体がその教訓を覚えていたのか、右腕、右脚、顔の右側と身体が衝撃を分散させて受けたので、顔の生傷はみっともないが、命取りのケガにはならなかった。

写真、左手、右手、右腕の肘、右膝の右側のそれぞれのケガ。擦過傷。

顔のケガも、なんかわけありの感じで、鏡で見たらひどくてなかなかいい。人にはヤクザとケンカして殴られたと言おうと思っている。それにしても、オレの生活というのはもうオジーサンにしては、毎日、いろいろなことがあり、冒険に満ちている。

自分の生活信条である[冒険的日常]について、

昔、書いた本のなかでは上のような説明をしている。拙著『編集の砦』の一節である。

とにかく、オレはこれまで何度も死にそうになっているが、不思議に生き延びている。自転車で転倒などという形で死ぬと、事故死ということになり、あまり[死]にこだわって死んだ感じはしない。いちおう、死ぬときはカッコよくと思っているが、どうなるだろうか。エロ写真とか今のうちに廃棄しておかなければいけない。

自分の死後のことをいろいろと考えるが、女房とか、仲のいい女友だちとか、ちっとも連絡をよこさない昔の恋人とか、いま作っている本の著者たちとか、百人くらいはいるのではないかと思うわたしの本の愛読者とか、14人のアメブロの読者とか、そういう人たちのためにも、そう簡単に死んだらいけないのではないかと思っている。

それにしても、毎日、何か余計なことをして、罪業を貯めているのかもしれない。

立ち小便とか不倫とか、ずいぶん悪いこともしてきたから、その罪科によって天罰が下るのはやむをえないと思っている。それでも出来るだけ自由に、愛する人たちのためになにが出来るか、見知らぬ他者のためになにが出来るかを一生懸命に考えながら、それでいて冒険的に、無言実行をモットーに大言壮語せず、ひたむきに日常を生きていたい。バカを名乗って全部のことを、冗談のようなふりをして。

これは簡単にいうと一生懸命に働きますという意味である。今日はここまで。  

Fin.