山川も依りて仕ふる | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも

 (巻1 39 柿本朝臣人麻呂)

 山の神や川の神までも心服してお仕えする尊い神であるわれらの大君は(吉野川の)激流渦巻く河内に舟を漕ぎ出しなさる

 「神ながら」の「ながら」は、(神であるけれども)という逆説的な意味ではなく(神である状態を持続しながら)という意味にとりました。「舟出せす」の「せ」はサ変動詞「す」の未然形、「す」は尊敬の助動詞。「かも」は詠嘆。

「天皇讃歌」の歌。「山神の奉る御調(みつき)と春へは花かざし持ち秋立てば黄葉かざせり 行き沿ふ川の神も大御食(おほみけ)に仕え奉ると上つ瀬に鵜川を立ち下つ瀬に小網さし渡す山川も依りて仕ふる神の代かも」(長歌)

山の神は春は(髪に飾る)花を秋は黄葉を貢物として捧げ、川の神は上の瀬では鵜を使って下の瀬ではすくい網を使って魚を捕り捧げています。そのように山の神も川の神も心服して仕える神の御代だなあ。「春へ」の「へ」は(辺)。「大御(おほみ)」は、天皇への最高度の尊敬を表す接頭語。