膳部王を悲傷しぶる歌 | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 膳部王(かしはでのおほきみ)を悲傷(かな)しぶる歌

世間(よのなか)は空しきものとあらむとぞ この照る月は満ち欠けしける

   巻3 442 作者不詳

 世の中はかくも空しいものであることを示そうとして、この照る月は満ちたり欠けたりするのだなあ

 「膳部王」(膳夫王)は「長屋王」の長子で、母は草壁皇子の娘・吉備内親王。父に殉じて、室である吉備内親王と兄弟(桑田王・鉤取王)が共に自尽しました。藤原四兄弟が、当時「左大臣」で政治の中心にいた長屋王を失脚させるために、王が人を呪い殺す術(左道)を学んで謀反を企てているという噂を流し、それを信じた「聖武天皇」の許可のもと藤原宇合(うまかい)の軍が王の屋形を包囲し一族を自害に追い込んだ「長屋王の変」(729年)を詠んだ「挽歌」です。長屋王の隆盛と没落を「月の満ち欠け」にたとえた歌です。藤原一族による「事実無根」の陰謀と考えられますが、表立っては悲しめなかったと思われます。

神亀六年己巳(つちのとみ)に、左大臣長屋王、死を賜はりし後に、倉橋女王が作る歌一首

 大君の命畏み大殯(おほあらき)の時にはあらねど雲隠ります

 (巻3 441)

 大君の仰せを恐れ承って、殯宮(あらきのみや)にお祀り申すべき時ではないのに、わが王は雲の彼方にお隠れになっていらっしゃる

に続けて詠まれた歌です。

 「殯宮(ひんきゅう)」は、(あらきのみや・もがりのみや)とも呼ばれ、天皇や皇族の棺を埋葬の時まで安置しておく(仮の御殿)です。別れを惜しみ復活を願ったり、死者の霊魂を畏れ慰める場所ですが、最終的には(腐敗・白骨化)により「死」を確認する場所となります。