「令和の由来」再び | 雪太郎の「万葉集」

雪太郎の「万葉集」

私なりの「万葉集」解釈
カレンダー写真は「鴻上 修」氏撮影

 昨日が「万葉集講座」受講日でした。巻第五の815番から始まる「梅花の歌三十二首 併せて序」の部分の講義でした。

 天平二年の正月の十三日に、帥老の宅(いへ)に萃(あつ)まりて宴会を申(の)ぶ。時に、初春の月にして、気淑(よ)く風(やわら)ぐ。梅は鏡前の粉を披(ひら)く、蘭は珮(はい)後の香を薫らす。」「令和」の由来とされた箇所で、4年前には248番目の元号「令和」の決定を受け急遽、臨時の講義を受けましたが、今回はテキストに沿った正規の授業でした。短歌ではなく「序」とあるように「詞書」(ことばがき)と呼ばれる前書きの部分です。太宰の帥(そち)であった「大伴旅人」の邸宅に集まって中国(唐)風の「曲水の宴」を模した宴会が開かれました。2列に向かい合って梅の花を見ながら順番に歌を詠みました。向かい合う人の歌と呼応する歌も多く見受けられます。前半15首が上席(旅人が司会役で7人ずつ2列)、後半17首が下席(最後尾のまとめ役を挟んで8人ずつ2列)の歌という構成です。「令和」の部分は「初春正月の佳き月で、空気は清く澄みわたり風は穏やかである」という意味です。

 後漢の時代(120年頃)、張衡の「帰田賦」にも「仲春月、時気清」という一節がある(『文選』600年頃編集)そうですが、この「令月」は2月を意味するもののようです。(「令〇」は「麗しい」など形容詞的に、命令、指令など「〇令」は動詞的に使われるということをこの時に初めて知りました。