今日午後市内で、長崎に落とされた原爆で被爆されたIさんの被爆体験を聞きました。以前、私の一般質問で取り上げさせていただいた方です。ご本人は9歳の時に被爆し、現在73歳です。当時、お昼からの授業で、家にいた時に被爆。防空壕に避難し、時間が経つにつれて怪我や、男女の区別が分からないほどの火傷がひどい人が運ばれてくる。「水をください」という声。Iさんが今でもトラウマになっている、手に残る「人の剥ける皮膚」です。女性が壁にもたれ、倒れそうになったのを起こそうとした瞬間に皮膚がズルッと剥けたのです。この時、Iさんの言葉が「うっ」と詰まりました。
 このブログでは、すべてお伝えすることができませんが、想像していただけたらと思います。

 Iさんは、「生き残った被爆者」と題して、最後にこう語りました。

 長崎の原爆で3万5千人が即死、3万5千人が突然の地獄に苦悶しながら数週間のうちに死んでいったのです。生き残った14万人は助かってよかったとは、思い喜ぶ人は少ない。それは一瞬の閃光の下に、過去もやがて未来までもが破壊され、また過去も未来も閉ざされた。 時限タイマー付きの死神を背に負いながら生きているからです。あの時に死ななかったです。タイマーにセットされた時間を知る術はないのです。それぞれ被爆者が生きている実感をもとめて、自らの人生と戦い続けた歳月なのです。
 あの悲惨な体験を繰り返してはならない、と自分にできることに全力を尽くしているだけなのです。(中略)実相を知り、他者に呼びかけて世界の市民が連鎖(連帯)すれば、核兵器廃絶は可能なはずです。

 私も今回の質問でも取りあげましたが、被爆され、語れる方は必ずいなくなります。自分になにができるのか、Iさんの思いを受け継いでいきたいと思います。
 写真は昨日、東の空に見えた虹です。