先日載せたピース☆バス☆チバでビキニデーのことについて簡単に書きましたが、今日は少し詳しく書きたいと思います。

1954年3月1日未明に、アメリカは、南太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で、広島に落とされた原爆の1000倍の威力を持つ水爆実験「ブラボー」を行いました。この実験によって、西太平洋からインド洋までの広大な海域を汚染し、静岡の焼津を母港とするマグロ漁船「第五福竜丸」をはじめとして、日本の漁船やマーシャル諸島の島民にたいして大きな被害をもたらしました。第五福竜丸の無線長の久保山愛吉さん(当時39歳)が、「原水爆の被害者は、わたしを最後にしてほしい」と言い残して亡くなりました。1945年8月6日・広島、8月9日・長崎、そして1954年3月1日・ビキニと、日本は3度の核兵器による被害を受けました。原水爆禁止署名は、わずかな期間で、当時の有権者の半数にあたる約3200万筆に達しました。日本の原水爆禁止の運動は、ビキニ環礁での水爆実験に対する国民の抗議から生まれた運動でした。

ビキニの事件を機に全国に広がった原水爆禁止の声と力は、1955年8月の第一回原水爆禁止世界大会の開催につながりました。9月には原水爆禁止日本協議会の結成、1956年には日本原水爆被害者団体協議会の結成、1958年には広島~東京1000キロ平和行進が始まりました。
現在に至る原水爆禁止の運動には、こうした歴史や日本全国での運動がありました。