子供のころの夏の朝を思い浮かべると、6時ぐらいに起きて、夏休みの宿題である朝顔の観察日記をつけて、6時半から始まるラジオ体操へ出かけたものでした。


あの頃は、体操をしてカラダを動かしても、汗ばむこともなく過ごしたように思います。


それが今や、毎朝その時間には30℃に達する勢いで、ぐんぐん上昇していきますね。かつてなら日中の最高気温だったでしょう 囧rz 



そんなですから、気象予報士の奨めに従い、不要不急の外出を減らし、冷房を入れた部屋で過ごすようにしております www


一方で、これはこれで「暑冷の繰り返し」をカラダに強いて、結局「体調不順」の原因を自分で作り出している気がします σ(^_^;) 



さて、今年の2月、Nスペで「驚異の庭園」という番組が放送されました。


安来にある足立美術館と京都の桂離宮、国際的にも評価が高いふたつの日本庭園を整える「庭師」の仕事をテーマにしたドキュメンタリーです。



この春に、桂離宮のガイドツアーに参加する機会がありましたので、その時の写真をご紹介したいと思います。


参観者用の入口から小ぶりな橋を渡ると、この離宮に様々な表情を与える池の一端が目に入り、さらに小径を進むと御幸門へ至ります。



桂離宮の造営は今からおよそ400年前、豊臣家の短かった治世の後、江戸に徳川幕府が開闢した時期に当たり、八条宮智仁親王の発起によるものです。


この方は、父の誠仁親王が当今正親町帝の養嗣子、兄の周仁親王はのちの後陽成天皇、幼い頃には「六ノ宮」と呼ばれた皇位継承権者でした。



関白に任ぜられた秀吉の懇請により、豊臣家の猶子として成長した六ノ宮は、やがて秀吉に実子が生まれたことを契機とし、猶子としての繋がりを解かれ、豊臣家の主唱で八条宮家を創設することになりました。


時を経て、徳川家康によって豊臣家が滅ぼされ、将軍家はかつて秀吉の猶子であった八条宮に皇位の継承を認めず、江戸幕府の介入により後水尾天皇が立てられる、という数奇な人生を送ったのです。


宮は桂川の西に別邸を造り住まいました。それが後世「桂離宮」と呼ばれ、公家建築の様式美を今に伝える回遊式庭園になりました。


このあたりのことは、司馬遼太郎さんの短編連作集「豊臣家の人々」に綴られています。



先のNスペで、京都に数ある苔庭に共通する問題として挙げられていたのが、2000年ごろから進む「苔の消失」です。


都市化によるヒートアイランド現象が、苔の生育環境に影響を与え、苔の種類の変化、さらには枯れ果ててしまっています。



上の写真は、意図的に緑色を強調するように加工したもので、かつてはこのように美しいスギゴケが生えていたそうです。


下の写真は、この日撮った御幸道沿いの実際の様子で、ハイゴケに置き変わり、ところどころ枯れが始まっています。



苔を用いた庭や小径の造作は、日本庭園の重要な要素ですので、これは景観や様式美を守る上で、心配な事象です。

先週後半は連日、体温を上まわる最高気温を記録した京都市、木蔭がなく直射日光にさらされる庭園は、苔にとってもなかなか厳しい環境なのですね。



池へ向かって右から伸びているのは、石を集めて形づくった洲浜、白砂に流水紋をつけて水の流れを表す枯山水と対象をなしているように見えます。


その先の中島と石橋は、天の橋立を模したとされています。



天の橋立の先には、茅葺きの茶室「松琴亭」があります。八条宮の兄、後陽成帝の宸筆による扁額が掛けられており、宮がこの庭園の核に据えた建物であることが察せられます。



桂離宮の庭園整備、維持管理は宮内庁の技官と、毎年の入札によって決まる造園業者との協働作業で、造営当初の姿を変えず、そのままに後世へ伝えることが使命とのことです。


宮内庁というと、千代田区千代田一丁目の話に限られがちですけれど、こうした仕事もしっかり担っているのですね。



賞花亭から池の方、北の方角を眺める際の情景、左手に書院が見えます。亭名からして、花の季節にはさぞ美しい景色が広がるのでしょうね。



そして、書院の座敷から池の向こうに見える風景、松琴亭がまわりの植木と良く調和して、侘びの雰囲気をつくり出しています。


この古書院には、月見台が設えられていて、さらに書院の左手には月波楼があり、秋には月見の会が今も毎年催されています。



3月の半ばだったこの日は、日差しは暖かでしたけれど、梅の花は蕾がようやく開き始めたぐらい、今は盛夏で時間が過ぎゆく速さを感じます。



[カバー写真]


ガイドツアー中に偶然、白い鷺が池へ姿を表しまして、松琴亭を背に、なかなか風流な情景でした。


古今和歌集の全解釈と秘伝を、細川幽斎から授けられた八条宮なら、ここで雅な一句を詠み上げるところでしょうね www 



Nスペ「驚異の庭園」では、足立美術館の庭師の一年を追う形で番組が進みました。


以前、仕事でしばしば米子へ出張していて、その際に訪れたことがあります。



確か夏の終わりだったので、番組で見たような錦秋の情景ではありませんでしたが、この庭園の美しさには、横山大観の日本画と共に、たいへん感銘を受けました。


気軽に出かけられる場所ではありませんが、なんとかまた訪れてみたいと思っています。



(付記) 


桂離宮へは、観光客の姿が途切れることがない嵐山から、阪急電車を利用しました。


桂川に掛かる渡月橋のたもとには、お気に入りの蕎麦屋「よしむら」があります。明治の日本画家、川村曼舟邸を流用した店舗で、東山の「SODO」などもそうですね。



残念ながら、この日「よしむら」は満席で、かなり待たなくてはなりませんでした。


同じ敷地内にある豆腐料理の「松ヶ枝」を訪ねると、幸いすぐに案内できる席があるとのことで、そのまま暖簾をくぐります。



かつて京都は、春と秋には人が多くても、夏や冬は閑散期で落ち着いた雰囲気だったように思うのですが、今は時期を問わず、どこも常に人があふれていて、正直なところ足が遠のくようになっています。



こちらのお店も久しぶりです。相変わらず美味しいお料理を配膳してくれたので、少し安心して箸を置きました。


(店内が混み合っていて、写真撮影はいささか憚られた為、松ヶ枝の写真はHPからお借りしました)