最寄りのスーパーへ出かけ、食料品や洗剤などを商品棚からカゴに入れてレジで精算する際、レジ打ちの方は、買い物中を示す灰色のカゴから精算済みの赤いカゴへ、それは見事に買った品物を整然と移してくれます。


大きな物や重い商品は下に、軽くて小さい品物や形が崩れやすい物は上に、平たい物は横へ立てて入れてあるその赤いカゴを、レジ横の卓へ持っていきマイバッグへ移し替える時、いつも困るのは、バッグの底へ入れたい商品は、赤いカゴでも底にあって、まず上に載っている軽くて小さい物を除けて下から大きく重い品物を出さなければならないことです。


片側に大きく重い商品、残りのスペースに軽くて小さい物をを入れてもらえると助かるのですが、そう思うのはゆきたますだけでしょうか? σ(^_^;) 



雨降りの日が続いた2月の後半、令和天皇の誕生日の翌日が幸い快晴になりましたので、Wハチでマチサガの美術館を訪ねました。


こちらは個人の収蔵品を一般公開していまして、ロダンとユトリロの作品を展示しています。



これまでに何度か見学していて、久しぶりにユトリロの絵を見たいと思い、足を運びました。こうした芸術関係の施設が、気軽に訪問できる距離にあるのは有り難いですね。



受付で入場料を支払う際に、水晶のさざれ石を呉れるのが、この美術館のユニークな慣わしです。


美術館の敷地内に、水晶を御神体としてお祀りする開運神社がありまして、それに因んで「硬貨を浄化する効果がある」と云われる水晶を小銭入れに潜ませて持ち歩くために、来館者にさざれ石を配っている由(これで金運が開けたらウレシイですよね‼︎) 



らせん階段を昇った2階は、ロダンの作品と共に「銘石」が展示されています。中央の「黄金水晶」はブラジル産、幸福や富を象徴する水晶とのこと。


全部で70個以上ある「パワーストーン」は、いかにも力がみなぎっている感じがします。手を触れて、パワーを貰って構いません。




冒頭の写真でWハチの左手に映っているピンクマーブルの丸い球は「紅水晶」です。直径が1メートル近くあり、ギネスに記録されているそうです。




さらにらせん階段を昇るとユトリロの絵画展示室になります。作品保護のために温度と湿度を管理しているため、室内はひんやりしています。



残念ながら絵画については撮影不可でしたので、ここに掲載できるのは、パンフレットに掲載されている「モンマルトル」と「デストレの家」の二作品だけになります(西山美術館のHPで全ての収蔵作品が見られます) 


ユトリロの油絵では「白の時代」に描かれた、人の姿がない絵が気に入っていまして、静謐な雰囲気の街並みや建物の捉え方が好ましく感じられます。



何度か仕事でパリへ出かけているものの、とうとう訪れられなかったユトリロ美術館、館名の一部になっている「バラドン」は母の姓で、この画家は自分の作品の署名に頭文字の「V」を併記しています。



正面入口の脇に、人間大の「考える人」が鎮座しています。金色をしていますけれど、まさか本物の「黄金」ではありませんよねぇ (^o^;A 


午後の日差しが建屋の陰を作っています。午前中に訪れたら、銅像の金や銘石の赤がもっと映えたでしょうね (チョット残念) 



多摩丘陵の南端に建つ美術館の駐車場には、白梅が花を咲かせていました。今は枝だけの桜の木々は、ひと月もすると満開になって、さぞや綺麗なことでしょう。




[カバー写真] 


当時のパリ社交界では、今から想像する以上に著名な芸術家だったのでしょうね。


97年の秋に、新宿の伊勢丹百貨店で開催されたユトリロ展を訪れた際に購入した、ずっしりと重いカタログを、本棚の奥から引っ張り出してきました。


しばらく手元に置いて、年代順に収められている作品を落ち着いて眺めてみたいて思います。



単純な親子の関係とは言い難かったバラドン女史、ユトリロを産む前は絵のモデルであり、後に画家へ転身した母の存在が、この芸術家の人生に複雑な影を落としています。


比較的若い内から熱心な収集家がついて作品が飛ぶように売れた「白の時代」以後、まるでビジネスのように量産を急ぐようになったのは、母と継父に「金づる」のように利用されたという一面もあるようです。



母に都合よく操縦され、それに大人しく従ったかのようであり、それを苦にして若い頃から酒に溺れ、半ば精神を病んだような生活を送った彼の作品からは、透き通るような、また複雑な陰翳を伴った寂寥感が漂ってくるような気がします。



(おまけ) 


こちらのオーナーは、角界の谷町筋として輪島関と親交があったそうで、数々の杯が寄贈され、館内に展示されています。