自動車博物館は、馬車や人力車の時代から、2000年頃までのクルマの歴史をたどる流れで展示されています。
左の三輪車が、ベンツが1886年に発表した世界初の自動車で、ガソリンで980ccのエンジンを駆動、15 km/hで走りました。
右の四輪車はベンツ製の初めての市販車、先の三輪車から10年後に発売、125台が生産されました。
テディベアが運転席に乗っている派手な赤い四輪車は、1919年製のフォードのT型、その左横にある木製の客室を架装したT型が、東京市営の「円太郎バス」です。
今年は関東大震災からちょうど100年で、月の初めに色々な報道がありました。
この円太郎バスは、地震で大きな被害を受けた市電が復旧するまで活躍しました。フォード車の協力により、震災のわずか4ヶ月後には運行を開始したそうです。
ブガッティが1934年から5年間に700台を生産した「Type 57」スポーツモデル、ルマン24時間レースで2回の優勝経験があります。
この頃は、メーカーがシャシーを制作して、オーナーの好みのボディーを架装するため、それぞれデザインが異なっていました。
こちらが1937年に発売されたダットサンの新型車、戦前の日本のモータリゼーションが盛り上がりを見せている時代でもあり、一方でこの年に「盧溝橋事件」に端を発する支那事変が起き、この国が戦争に向かって進んでいく時代の始まりでもありました。
この車両、チョット分かりづらいですけれど、ゆきたますが、かねてより「一度は乗ってみたい」と思っているシトロエンの2CVです。
五木寛之さんがクルマを題材にとった1988年の短編集「雨の日には車をみがいて」に登場します。今でも愛好者をたくさん持つ人気車ですね。
石原裕次郎さんの愛車として知られるガルウィングドアのベンツ、スポーツ車らしいロングノーズのデザインが美しいですね。
かつてレースの世界ではメーカーの国ごとに車体色が決まっていて、ドイツは銀でした。ベンツのレース車は「シルバーアロー」と呼ばれ、ルマンのファクトリーチームにも引き継いでいました。
[カバー写真]
76年のF1グランプリに登場した六輪タイレル、ゼッケン4なので、パトリック・デパイユの車両でしょうか。その年の最終戦「F1 in Japan」を走りました。
前四輪のトレッドを拡げるなどして77年まで出場し、ロニー・ピーターソンが操縦する3号車が、やはり最終戦であった「日本GP」で観客が死亡する事故に関係するアクシデントに巻き込まれます。
そのロニー・ピーターソンは翌78年のイタリアGPでロータスに乗り、スタート直後の多重突事故で死亡、パトリック・デパイユは80年のドイツGPに向けたアルファロメオのテストでクラッシュし他界しました。
F1ドライバーは「二人に一人が死ぬ」と言われた時代のことです。
レーサーの高橋国光さん、細谷四方洋さんの間に並んでいる方が、河口湖自動車博物館・飛行館の館長、原田信雄さんです。
フェラーリやランボルギーニの70-80年代の市販車も、たくさん展示されていました。
芸術を愛するコレクターが作品を蒐集するように、数多くの歴史的な名車を揃えた博物館は、非常に見ごたえがありました。来年も8月に訪れてみたいと思います。
(おまけ)
先ほどのガルウィングドアのベンツ、横から見るとこんな感じです。
カウンタックなど「跳ね上げ式ドア」を採用したクルマにはいつも思うのですけれど、ドライバーがシートに座った状態でドアを閉めるのに手が届くのでしょうか ( ̄ー ̄)?
短躯で腕が短いゆきたますならノブに手が届かず、いつまでも発進できないに違いありません www
こちらはゆきたますの車中泊キャンプ用「ぶさカワ子」号です。前掲の「アッシュトラック」を模した軽四のカスタム車です。
ベース車に「ベンチシートの後席を倒すと荷室からフルフラットになる」商用車を選んで、マットを敷くと車内で快適に寝られるようになっています。
そろそろ秋が近づき朝夕は涼しくなってきましたので、また車中泊キャンプへ出かけたいと思います。