ラグビーのW杯、月曜日のイングランド戦は早起きして、ライブでTV観戦しました。

前半は伍して戦い、後半早々に一点差まで詰め寄りましたけれど、ノックオンがと思われたボールからのトライが認められ、その後はイングランドが主導権を離さない展開になりました。

終盤に見せたイングランドの怒涛の攻めは、さすがラグビー王国と感じさせるものがありましたね。


お盆明けに「かぶとむし」号が納車になり、最初のドライブは河口湖へ出かけました。

Wハチとのツーリングで「勝手知ったる」エリアではありますが、慣れないクルマでの「走り初め」ですから、その方がなにかと安心でしょう。

(右端に小さく映っているのが「恐怖の毛無山」です www) 


なにしろ古いクルマばかり乗り継いできたので、キーレスでエンジンをスタートしたり、スマホをカーナビに接続するなど、初めて経験することばかり、運転手がまるで追いついていけてません σ(^_^;) 


まさにワーゲンを購入することにした背景通り、当日は午後から天気が急に下り坂、山中湖からの富士山は「肩つき」さえも雲で隠れるほど、富士吉田から河口湖大橋までのR138は土砂降りの雨になりました 囧rz 


翌朝もあまりサエない空模様で、富士の山頂は雲と霧の向こうにうっすらと判別できた程度、その点では残念なドライブの前半でした。


その後やや持ち直しましけれど、富士山頂は雲に隠れたまま、パノラマロープウェイで天上山へ昇るプランは諦めました 囧rz 



メインイベントは「河口湖自動車博物館・飛行館」の訪問、8月の一ヶ月だけ開館しています。

フランスの自動車ランプメーカー「CIBIE」の総代理店を経営していた原田信雄さんが、個人コレクションとして収集した名車の数々を見学できる貴重な機会です。


原田さんは70年代の終わりに、国内のスポーツカーレースに出場するチームを運営し、83年には中嶋悟をドライバーとし、F2選手権やGCレースに参加しました。

一年にひと月だけ公開しているのは、コレクションの「虫干し」の意味でしょうかね www 


基地にも飾ってあるF104、ここにあるのは国から払い下げられた機体でしょうか?



自動車博物館は、馬車や人力車の時代から、2000年頃までのクルマの歴史をたどる流れで展示されています。



左の三輪車が、ベンツが1886年に発表した世界初の自動車で、ガソリンで980ccのエンジンを駆動、15 km/hで走りました。


右の四輪車はベンツ製の初めての市販車、先の三輪車から10年後に発売、125台が生産されました。



テディベアが運転席に乗っている派手な赤い四輪車は、1919年製のフォードのT型、その左横にある木製の客室を架装したT型が、東京市営の「円太郎バス」です。


今年は関東大震災からちょうど100年で、月の初めに色々な報道がありました。


この円太郎バスは、地震で大きな被害を受けた市電が復旧するまで活躍しました。フォード車の協力により、震災のわずか4ヶ月後には運行を開始したそうです。



ブガッティが1934年から5年間に700台を生産した「Type 57」スポーツモデル、ルマン24時間レースで2回の優勝経験があります。


この頃は、メーカーがシャシーを制作して、オーナーの好みのボディーを架装するため、それぞれデザインが異なっていました。



これがシトロエンの「アッシュ(H)トラック」で、ゆきたますの「ぶさカワ子」号のもとになったクルマです。この場所で遭遇するとは思いもよりませんでした。


こちらが1937年に発売されたダットサンの新型車、戦前の日本のモータリゼーションが盛り上がりを見せている時代でもあり、一方でこの年に「盧溝橋事件」に端を発する支那事変が起き、この国が戦争に向かって進んでいく時代の始まりでもありました。



1950年というと太平洋戦争での敗戦から5年後、ダイハツが生産した三輪トラック、二輪車にリヤカーを懸架した構造で、当時の自動車輸送の中心的方法でした。


この車両、チョット分かりづらいですけれど、ゆきたますが、かねてより「一度は乗ってみたい」と思っているシトロエンの2CVです。


五木寛之さんがクルマを題材にとった1988年の短編集「雨の日には車をみがいて」に登場します。今でも愛好者をたくさん持つ人気車ですね。



石原裕次郎さんの愛車として知られるガルウィングドアのベンツ、スポーツ車らしいロングノーズのデザインが美しいですね。


かつてレースの世界ではメーカーの国ごとに車体色が決まっていて、ドイツは銀でした。ベンツのレース車は「シルバーアロー」と呼ばれ、ルマンのファクトリーチームにも引き継いでいました。




[カバー写真] 


76年のF1グランプリに登場した六輪タイレル、ゼッケン4なので、パトリック・デパイユの車両でしょうか。その年の最終戦「F1 in Japan」を走りました。


前四輪のトレッドを拡げるなどして77年まで出場し、ロニー・ピーターソンが操縦する3号車が、やはり最終戦であった「日本GP」で観客が死亡する事故に関係するアクシデントに巻き込まれます。


そのロニー・ピーターソンは翌78年のイタリアGPでロータスに乗り、スタート直後の多重突事故で死亡、パトリック・デパイユは80年のドイツGPに向けたアルファロメオのテストでクラッシュし他界しました。


F1ドライバーは「二人に一人が死ぬ」と言われた時代のことです。



レーサーの高橋国光さん、細谷四方洋さんの間に並んでいる方が、河口湖自動車博物館・飛行館の館長、原田信雄さんです。


フェラーリやランボルギーニの70-80年代の市販車も、たくさん展示されていました。


芸術を愛するコレクターが作品を蒐集するように、数多くの歴史的な名車を揃えた博物館は、非常に見ごたえがありました。来年も8月に訪れてみたいと思います。



(おまけ) 


先ほどのガルウィングドアのベンツ、横から見るとこんな感じです。


カウンタックなど「跳ね上げ式ドア」を採用したクルマにはいつも思うのですけれど、ドライバーがシートに座った状態でドアを閉めるのに手が届くのでしょうか ( ̄ー ̄)? 


短躯で腕が短いゆきたますならノブに手が届かず、いつまでも発進できないに違いありません www 



こちらはゆきたますの車中泊キャンプ用「ぶさカワ子」号です。前掲の「アッシュトラック」を模した軽四のカスタム車です。



ベース車に「ベンチシートの後席を倒すと荷室からフルフラットになる」商用車を選んで、マットを敷くと車内で快適に寝られるようになっています。



そろそろ秋が近づき朝夕は涼しくなってきましたので、また車中泊キャンプへ出かけたいと思います。