壁かけのカレンダー、月が替わり一葉を千切って壁に返す時、カレンダーがすっかり軽くなっていることに気がつきます。


まだまだ残暑厳しい日がありますが、今年も3分の2が過ぎたのですね。


「もう少しで今年も終わるなぁ」これから晩秋に掛けて、何度かそう思うことでしょう。



原付二種である125のナンバーは登録した市など自治体が表示されていて、最近はツーリング先でかなり遠方のナンバーを見かけたりします。


辻堂にあるライダーカフェ「Door」のオーナーから、125で九州まで出かけたとの話を聞いて、腰を抜かしそうになりました。


高速道路や自動車専用道を走らずに、国道を中心とした、いわゆる「下道」のみをたどってツーリングする勇気に感服します。


そこで物は試し、モンキーで東海道を走ってみるとどうなるか、というチャレンジを思い立ち実行してみました。一泊二日で名古屋を目指す計画です。


学生時代に125で大阪まで走ったことがあって、それ以来ですから37年ぶりになります。


午前中に仕事があったので、出発が遅くなりました。空は曇天、予報は「一日曇り」ですが、最近はアテになりません。


マチサガからだとまずはR246を沼津まで走り、一国へ合流するルートが簡単です。


写真は、天竜川の河口に架かる遠州大橋のたもとから対岸の竜洋にある風力発電所をとらえたもの、風車は全部で7基あるそうで圧巻でした。



今回の東海道ツーリングでは、広い土地に太陽光パネルを設置してあるのを、いたるところで見かけました(最近まで実施されていた固定価格買取制度が後押ししたからでしょうか) 


太陽光パネルの向こうに、風力発電のプロペラが4基ならぶ構図は、電力不足が心配されるこの夏の状況の何かを表しているかと思い、電柱や電線と共に写真に収めてみました。



弁天島から見た浜名大橋と赤鳥居、モンキーはあの橋を渡れずR301を地味に進みます。


このエリアは新幹線と東海道線が至近距離で並走していまして、驚くのは新幹線の走行音があまりに静かなこと、N700系の世代に入ってこうした整流や騒音、振動の対策が大いに向上しました。


最近では在来線の新型車両も改善が進み、静々とホームに入ってくる感じになりましたね。



江戸時代は人の移動が厳しく制限された時代でもありました。箱根や新居の関所は、その象徴と言えるでしょう。


特に武士は参勤交代の随順や藩命による出張でもない限り、国境を越えることはできませんでした。むしろ町人の方が伊勢参りや富士登山など旅を楽しむ余地があったのですね。



徳川幕府は藩主の正室を江戸に留め置くことを命じ、それによって大名の謀叛を防ぐ対策のひとつとしました。


家康自身が今川家の支配から独立する上では、築山殿と信康を駿府から脱出させていますから、その裏返しと言えるでしょう。


それゆえ正室が密かに江戸を脱け出て国元へ逃れることをことのほか警戒して、女手形の発行には強い制限が掛けられていたそうです。


それでも男装して関所を通過する可能性を疑い、浮世絵にあるように少年の前を老婆が改めて、真に男であることを確かめたのですね。



愛知県に入り県道41号を走っていたら、見事なメタセコイア並木へ通りかかりました。琵琶湖畔マキノの並木道を思い出します。

この41号線は産業道路として造られ、10 kmに及ぶ長いゆるやかな直線路が続きます。信号も少なく、今回のツーリングで一番の快適ルートでした。



モンキーによる東海道ツー、料金が掛からない国道のバイパスを125では走れないので、平均速度は30 km/hというところでした。下道は信号待ちがしばしばありますので、まぁこのぐらいですね。


初日は磐田に宿を取りました。ジュビロスタジアムの近くにあるヤマハのコミュニケーションプラザを訪問する筈だったのですが、出発が遅くなったので閉館時間に間に合いませんでした。


コミュニケーションプラザは何度か訪れていまして、ヤマハの市販車やレース車両、エンジンを提供した四輪車など、歴史的な名車が多数展示されていて、とても楽しい施設です。


今回は残念でしたが、また機会を設けて訪ねたいと思います。


夜はホテルの向かいにあった九州料理のお店にして、馬刺しやからし蓮根、冷や汁を堪能しました。お酒はもちろん薩摩焼酎です ( ^ ^ )/□ 



主要国道をたどるだけでは、全国チェーンのファストフードやファミレス、コンビニ、紳士服や四輪ディーラーのロードサイド店舗が、どこまで走ってもひたすら続く風景に、きっと辟易するに違いないので、ナビを頼りに二桁三桁の県道へ敢えて踏み入れました。


静岡を過ぎて、なかなか思わしいルートが得られず四苦八苦していたのですが、山側を通過するコースが早いようなので、そちらにハンドルを切ります。


途中までナビの誘導が続いていたものの、山中に入ると音声がしなくなりました。道なりにしばらく進む場合、音声が絶えることはまま有るので、そのまま走ります。


とはいえ、さすがにかなり山の奥へ来た感じになり、モンキーを止めてスマホを確認したところ、なんと「圏外 (‼︎)」になって電波が途絶えているではありませんか。どうりで音声ガイドがない訳です。


まずは現在位置を確かめようと地図アプリを開くと、(当たり前のことですが)地図が表示されず、自分が今どこにいるのかさえ分からないことに気がつき茫然としました σ(^_^;) 


かなり癪に触りますが、とりあえず来た道を逆に走り、電波が届く場所まで戻ることにします。


そうこうする内、空がだんだん怪しくなってきて夕立に見舞われるという悲劇、なんとか木立の下に雨の掛からない所を見つけ、しばし雨宿りです (泣) 



日本の道路(行先)表示はなかなかトリッキーですよね。地名に不案内な県道を走っている時、近くの主要都市の名前を頼りに道路を選び、右左折を決める手がかりにしますが、通り過ぎてきた都市が標識の行先に表示されることがしばしばあり、自分がどこに向いて走っているか混乱することになります。


たしかにそちらの方向から後方の都市へ向かう道路はある訳ですが、今回はそれで何度か道に迷う羽目になりました。


先のメタセコイア並木では、曇っていた空から陽が差してきて、道路にできた並木の影を見てはじめて、西に向かうはずが東に走っていることに気がついたりしました www 



蒲郡へ向けて県道を南下していた時、R23のバイパスのインターチェンジが現れました。左右に分かれた導入路の案内表示は、左が名古屋、右が豊橋です。どう考えても逆のはずで、頭がかなり混乱しました 囧rz 


いずれにしても125はバイパスを走れないことが分かり脇道へ逸れたのですが、市道を走りながら考えると、弧を描くランプウェイは最終的に右が名古屋、左が豊橋の方向へ繋がる訳ですね。


とはいえあちこちで行先表示に裏切られて、さんざん道に迷った挙句のことで思わず惑乱してしまい、高速道路の逆走が発生する理由を垣間見た気がしました。



[カバー写真] 

(航空ファン羨望の歴史的な名機が実機展示されている ボーイング・フィールド@シアトル) 



「ついに」というか、「とうとう」というのか、いよいよ「メットのお仕置き」がやってきました。


オートバイのヘルメットは、とても蒸れるので髪の毛には決してよくないんです 囧rz 


ライダー復帰から一年あまり、赤々と血色の良い頭頂部の地肌が、残り少なくなった毛髪の間から露見していることに気づきました。


バニーちゃんメットは最新モデルと違い、ベンチレーション機能が無いので、毛根にかなり負担が掛かるんですね。


白状すると、実は何年か前から急な雨が降る始めると「頭皮で直接それを感じる」状態になっていたんです。


真綿で首を締めつけられるような、見えない影に追われるような強迫観念に囚われて、夜中に自分のうめき声で思わず目が覚めることが増えました (^o^;A