2023年4月28日(金)にワンワールドビジネスクラスで行く9泊10日世界一周旅行に旅立ち、そのことを今月から世界一周のジャンルでブログ記事を書いてますが、改めて自己紹介をさせてください。
勝手に、「私の履歴書」風に。
改めて自己紹介記事を書こうと思った理由は前回の記事で紹介しましたが、今回は結婚について自分がどう考えていたのかを振り返りたいと思います。
前回記事はこちらから。
先輩からもそうでない方からも、いっぱいコメント頂きありがとうございました。
「世界一周・バックパッカー」ジャンルに今月から引っ越し、読者の方から楽しく読んでいるとコメント頂けると、とてもうれしく、さらに楽しい記事を書こうというモチベーションになるので、気軽にいいねとかコメントを頂けるとうれしいです(ゼヒゼヒ)
さてさて本題です。
自分で言うのもなんですが、小さいころからまじめで勉強もそつなくこなし、大学はなんとなく東京に出たいと思って、奨学金を借り第一志望校に進学することが出来ました。
就職もOB訪問して大学の先輩に会ったりするのですが、なんとなく先輩がいいなぁと思った大企業に入ることが出来て、自分の人生的には順風満帆に進んでこれたと思ってます。
別に会社でトップランナーで出世してるとかは全くないのですけどね(出世はしてませんし、これからも特別に出世することはもうあり得ない状況です。50にもなれば、おおよそ会社での自分の位置というものは分かりますよね)。
会社は若いうちは5~6年おきに3回くらい転勤させるのですが、初めの配属先は東北支店で、主に仙台市とむつ市(短期間、酒田市と青森市)で働いてました。当時は若かったのでスノーボードやらゴルフやら、合コンしたり、それなりに楽しかったかな。
一番の思い出は、元ミス仙台の女の子(とキャンギャルたち)と合コンし、元ミス仙台の女の子といい感じになったのですよね。結局は成就しませんでしたけど
仕事面では、ちょうどむつにいた時、仕事が超暇だったのですよね。
冬とか、雪が降って仕事がそもそもできないし。
冬は、まわりの社員は雪がないところに出稼ぎに行って、何故か私だけそこに居ていいという
なので、そんな暇を利用して前回の記事でも書きましたが英語を勉強してTOEICの点数を上げて、会社に立候補して、海外赴任することが出来ました。
そしてちょうど年齢的に30を過ぎる頃、海外にいて女性との出会いもほとんどないけど、年齢的に若いころは全く考えてなかった結婚というものをなんとなく考える年になってきたのですよね。
そろそろ結婚したいなぁ、と。
相手はもちろんいませんでしたが、何か?
まだその頃から20年もたってないですが、時代は変わりましたね。
あの頃はまだ結婚するのは当然。
家庭を持って、子供を持って一人前。
そんな社会の風潮みたいなのもあり、当然結婚はするものだろう。
結婚したら親も安心するだろう。
孫の顔を親に見せたい。
家族で海外赴任している社員もおり、その子供たちとも交流も多少はあったので、家族っていいなぁ、自分も結婚したいなぁとも思いました。
今当時を振り返ってみると、とっても保守的な理由ですね。
で、
結婚までのルートは2つ
ひとつは、合コン
海外赴任していたころ、場所はアフリカだったけど日本人の若い女性旅行客が割りと来ていたのですよね。
そこで、現地の日本人のツアーのアテンドとかをやっていた友人(女の子)が、その若い女性旅行客と合コンをセッティングしてくれてたのですよね。
何回セッティングしてくれたのだろう。
5回?
10回くらいか?
とっても楽しかったよー
合コンの相手が慶応病院の女医さんだった時は、目ん玉飛び出ましたけど
(研修医さんだったのかな。その後もやり取りして日本でも会う約束にしてたと思うのですが、私と違い忙しそうで、この恋は実りませんでした)
そしてその他の合コンも、私がふがいないばかりに恋が実ることはありませんでした
もうひとつのルートは結婚相談所
30過ぎて、それなりのお金を払って会社が提携する東京の結婚相談所に入会しました。
年間数回の帰国の度に2.3人紹介してもらい、ホテルのラウンジでお茶したり、複数回お会いした方もいたかなぁと思います。
でも、海外赴任地に戻り、メールをやりとりするけど、次の帰国の際まで間が持たなかったりして、なかなかというかマッチングする方は残念ながらいらっしゃいませんでした。
そして海外赴任から6年が経過し、会社の海外事業の業績も悪化し規模縮小するにあたり、2009年10月日本に帰任しました。
配属先は、地方支店。
ほとんど知り合いもいない支店だったのですが、唯一知っていた同郷の先輩がいろいろと遊びに誘ってくれたのですよね。
そこに素敵な女性がいました。
同じ部署の子で、年齢は6つ下。
なんやかんやで飲み会や遊びで一緒になる機会も多く、3か月後の12月には社内と言うこともあり結婚前提で告白し、翌3月には結婚(婚姻届けを提出)しました。
超スピード結婚でした。
「勢いは大事!」
帰国して半年後のことです。
なう
高校時代を思い出す