この感覚、英語っぽい? | 小さな町から韓国語

小さな町から韓国語

田舎暮らしをしながら、韓国語教室を運営しているおばさん先生のブログ

中級レベルの韓国語になると、いろいろと日本語に置き換えるだけでは理解できず、「感覚」で感じ取るべきものが増えてきます。

 

例えば、こんなやつ。

 

〈먹었다〉と〈먹었었다〉

〈-던〉と〈-았/었던〉

 

見た目似ているけれど、ニュアンスが違うものたち。

 

「現在まで続いているのか、続いていないのか」

「過去にすでに完了しているか」

 

そのあたりの含みが違いを生み出してきます。

 

こういう概念って、日本語ではなかなか表現出し切れません。

日本語だと、単純に過去形「~した」「~していた」で表して終りのことが多いです。

 

でも、

「現在まで続いているのか、続いていないのか」

「過去にすでに完了しているか」

 

って英語の文法の授業でよく聞いた気がするのです。

 

学校の英語教育で必ず通る「完了形」。

現在完了形と過去完了形。

 

その説明のとき、今もその状態が続いてるのかがポイントとか、過去にすにで終わったことなのかとか、過去のある時点からみてさらに過去なのか・・・・

 

そんなセリフをよく耳にした記憶があります。

 

韓国語の過去形たちも「完了形」の意味合いと似ているなあと感じます。

 

例えば、

 

〈결혼했어요〉も、「結婚した」ということではなく、「結婚して、今もその状態が続いている」ということを表します。

 

これって英語の現在完了形の感覚なのでは?

 

と常日頃思っていたのですが、

 

そうしたら、英語の教員免許もお持ちという韓国語の生徒さんが、

 

「韓国の過去形とか大過去って、英語の現在完了とか過去完了に似てますね」

 

って同じことをおっしゃってちょっと嬉しくなりました。

 

日本語と韓国語は近いというのは有名な事実ですが、

実は、韓国語と英語にも、こういう似た感覚があるんだなあと実感。

 

「完了形」。

 

日本人には、この現在との距離感とか、なんちゃらとかが、バチっと伝わってこないところがあります。

 

英語をするにしても、韓国語をするにしても「完了形」は、立ちふさがってくるのかもしれません。