韓国語の生徒さんから、
「〈-군요〉と〈-네요〉は、どう違いますか?どう使い分けますか?」
とよい質問を受けました。
たしかに、どちらも日本語にすると「~ですね」という感嘆の意味でしかなく、同じように使っていいのか気になるところです。
でも、じーっくり考えてみると、同じように使う場面もあれば、使い分けている場面があります。
① 文語的か口語的か
〈-군요〉と〈-네요〉もどちらも「~ですね」という感嘆になりますが、
〈-군요〉→ 書きことば的、格式張ってる感じ
〈-네요〉→ 話ことば的、普通の会話っぽいかんじ
という印象はあります。
親しい友達間では、圧倒的に〈-네요〉を使っていると思います。
② 直接的に経験したかどうか
〈-네요〉は、人から、伝え聞いたことへの感嘆表現としては、使えません。自分が直接経験したことへの、感嘆としてのみ使えます。
例えば、こんな場面。
ある食堂の前を友人と2人で通り過ぎます。
その友人は、以前にその食堂に行ったことがあり、その食堂について知ってます。
そして、こう言いました。
저 식당 음식이 맛있어요.
(あの食堂、おいしいよ)
それに対して、私は、その食堂に行ったことがありません。知りません。経験していません。
でも、その友人への返しに、「へー、おいしいんだね~」と言いたいときは、
아, 맛있군요.
です。
この場合、
〈-네요〉
は使えません。
でも、友人とその食堂に入ってみました。食べました。自分で経験しました。そして、本当においしかったです。
この時は、
맛있군요.
맛있네요.
どちらも大丈夫です。
(ただし、①の通り、〈-네요〉の方が会話的です)
〈-군요〉には、「へーそうなんだ~」的要素があるのですが、〈-네요〉にはそれがないってことです。
また、別の例。
ある人から、ミギョンさんは、英語が上手だと聞きました。
でも、上手に話しているところを見たわけではありません。
そのような時には、〈-군요〉しか使えません。
미경 씨 영어 잘하시는군요.
(ミギョンさん、英語お上手なんですね)←「へ~そうなんだ~」的発言です。
でも、ミギョンさんが英語を流暢に話している姿を目撃した!
その場合には・・・
미경 씨 영엉 잘하시네요.
(ミギョンさん、英語お上手なんですね)
と〈-네요〉もOKです。
(〈-군요〉を使ってもOKです)
③ 推測で得た情報に使えるかどうか
②と同じような脈絡ですが、〈-군요〉は、推測で得た情報に対する感嘆としても使えますが、〈-네요〉にはそれができません。
例えば、誰かが部屋に入って来ました。彼の服には、ちょっと雪が積もってます。私は、外に出て雪が降ってるのを見たわけではないです。
でも、彼の服をみて「雪がふってるんだあ」と推測して発話する時、
밖에 눈이 오는군요.
(外は雪が降ってるんだあ)
となります。〈-네요〉はおかしいです。
でも、自分の目で雪が降ってるのを見た、目撃した・・・そうなると、
밖에 눈이 오는군요.
밖에 눈이 오네요.
どちらも大丈夫です。
④ 伝えたい気持ちの強さ
最後は、気持ちの問題。
ざっくり言うなら、
〈-군요〉→ 人に伝えるというより、自分への独り言っぽい、伝えたさは弱め
〈-네요〉→ 相手にも伝えたい、聞き手を意識、伝えさは強め
ある人が、眼鏡を無くしてこういいました。
제 안경 없어졌어요.
(私の眼鏡がなくなりました)
私が見つけて「ここにあるね」という時、
여기 있군요.
여기 있네요.
どちらを使うか?
「ここにあるね」という発見だけではなく、それにプラスして、「ここにあるよ~」という、相手への伝達の意味を加えたいのなら、〈여기 있네요.〉の方が、自然です。
一方、〈여기 있군요.〉は、「ここにあるね~」と、自分の発見にのみ焦点があり、独り言のように聞こえます。伝達力は薄いです。
ということで、4つの違い。
細かい点ですが、観察すると見えてくる、この違い。言語は深いです。