『よく生きることはよく書くこと』
ジャーナリスト千本健一郎の文章教室1985-2015
週刊朝日の記者、朝日ジャーナルの記者・副編集長・編集委員などを経て、出版局スタッフエディター。1985年から2015年まで30年にわたって朝日カルチャーセンター・文章教室の講師を務め2019年に亡くなった著者による文章をまとめた本です。
ここから先は、気になったところの、原文のままの抜粋です。
私の感想は書きません。
○「まえがき」のまえがき(1995)
「君は政治の事など考えないかもしれない。だが政治は君のことを考えている」と言ったのは、イギリスの社会学者G.D.H.コールでした。政治、国家が急速に肥大化し、ここの人間をあまさず吸い込んでいった今世紀の軌跡を振り返れば、自然に頷ける言葉でしょう。
ざっと眺めただけでも2つの世界大戦があり、そこから無数の迫害、殺戮、革命、反革命が生まれ、その一方で冷戦構造の生成から崩壊へ…、政治・国家、そして民族をめぐる変動にはケタ外れなものがありました。
そのたびに権力の有りようとは程遠い、砂粒同然の民衆までが、この世界大のドラマに一役を与えられ、参加を強いられたのです。
強者が自らの意思を表現しようとして伯仲勢力とぶつかる。とばっちりが弱者にいく。
弱者にも固有の立場があり、主張がある。大小入り乱れての相克が避けがたいものとなる。
あげく欲望、策略、抵抗、大義、さらに感情をも加え、全てが政治・国家、民族の抗争に総動員される。そうした100年の、時々刻刻の中で「彼女」は「彼」は、何を思い、何を成しえたのだろう。
○論理的表現は他者意識から始まるー「文章教室」の現場から
次の1文は、1995年の文章教室での講義をもとに「月刊国語教育」12月号に「提言」として掲載されたもの。
朝日カルチャーセンターで文章教室を受け持つことになった、と言ったら、「文章の書き方なんて教えることができるのかな」と疑問を呈した人がいる。今は亡き作家、中上健次氏である。
文章は人それぞれが生きてきた過程が投影されたもの。また天分としか言いようのない文才の持ち主がいるのも事実だ。だとすれば、文章の書き方等と言うものは教えたり教えられたりする対象にはなれない、と言うのも作家、小説家としては、ごく自然な反応だったのかもしれない。
だが、小説だけが文章ではない。文才に長けた1人だけ書くと言う特権が与えられているわけでもない。人は必要に応じて様々な文章を書かねばならぬ事態に追い込まれる。
論文、報告文、批評文、書簡文、さらにそうした要素を全て呑みこんだエッセーなど、散文表現は多彩を極める。これらは、自分の思いを底流に、人間の生き方死に方まで一切合財を盛り込もうとする小説とはだいぶ趣が異なる。自分の言わんとすることを正確に無駄なく伝えることが眼目だからだ。
正確に無駄なく伝えるにはどうするか。これは方法、技術をめぐる問いかけである。ところがこの国ではどこを見渡しても、そうした方法としての作文教育を行っているようには思えない。小学校、中学校での読書感想文や運動会、遠足などの、点描(スケッチ)を最後に、大学入試の小論文、レポート、卒業論文へとなだれ込む。文章を組み立てる原理そのものに触れる余裕はなさそうだ。その欠落を補う形で文章構築の技術を説いたらどうか。
つまり、文章にいかに自らの想いの丈を詰め込むかと言うより、どうすれば自分の考え方を過不足なく通じさせるか。そのための具体的な方策を追求するわけである。私たちの教室が10年続いているがそのせいだろう。
(中略)
…独自の大胆な自己表現に向けて踏み出してみたらどうだろう。そういえばエッセー(Essay)とは、もともと「試みる」と言う意味を持つ動詞なのである。
○まり子さんのことば(123ページ)
○グラーグを生きのびてージャック・ロッシの言葉・抄(139ページ)
○証人と私たち(195ページ)
○土佐からの贈り物ー「びっと」「へこい」「おかいす」たちのつぶやき(220一ページ)
○「よろしいもの」へ(272ページ)
○「丈夫為志、窮当…」(303ページ)
「老いてますますさかん」とは…
「75歳までの自分の仕事は習作である」(葛飾北斎)
人は、しかくクリエイティブ・パワーを持続して長生きしなければならない。(あるいは、人は、長生きするなら、しかくクリエイティブ・パワーを持続しなければならない)(大津太郎の長兄96歳。その96歳の兄に今年4つの娘があり、その娘は92歳の時に37歳の5人目の細君(母)に生ませた)
○「かばい」の正体(390ページ)
がばいー甚だ、たくさん、really。
○まど・みちおの言葉力(520ページ)
○「わだつみ」再見
木村久夫(陸軍上等兵、シンガポールでB級戦犯として絞首刑に処せられた、28歳)
辞世の歌
風も凪ぎ雨も止みたり爽やかに朝日を浴びて明日は出でなむ
心なき風な吹きこそ沈みたるこころの塵の立つぞ悲しき
○「侮辱」のかなたに
「私たちは侮辱の中に生きている」(大江健三郎が、反原発集会で引いた中野重治の言葉)
→中野重治の短編小説「春さきの風」で、女主人公が政治活動で拘置所にいる夫に書いた手紙の最後の1行。以来延々、権力による侮辱はこの列島に張り付いて、脈々と流れ込んでいる。
読み終えて、和三盆のアイスクリームを食べました。
これが本当に沁みた…
![本](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)