林正英 ラムチェンイン インタビュー 完全版 1/2 | 秒速5センチメートル

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桜の花びらが落ちるスピード秒速5センチメートル。
そのようなゆったりとした自分らしい生き方をコンセプトにブログを綴ります。

※香港映画ハマり中です

※ブログタイトルは新海誠さんの作品から拝借いたしております。

ご無沙汰しております。ゆきしです。

今日はラム先生のお誕生日、ご存命だったら今日で67歳ですね。

 

1996年のベイローガン氏よるラムチェンイン インタビュー 抜粋版を以前、翻訳しましたがこれまでたくさんの方にアクセスいただきました、本当にありがとうございます!


そして今日この日、ラム先生のお誕生日に「ラムチェンイン インタビュー 完全版」を翻訳したものを公開します。

 

翻訳するにあたり、ラム先生にインタビューされたベイローガン氏に翻訳と私のブログへの掲載許可をいただきました。

ベイローガンさん、本当にありがとうございます!!!

また英訳(インタビューは広東語)されたラム先生のファンの方からも掲載許可をいただくことができました。

 

ラム先生はインタビューがお好きでなかったようで日本で残されているものは限られています。

中国本土にもしかしたらあるのかもしれないけど、今の自分にできるのは国内で確認できるものに限定しております。

インタビュー 抜粋版には無かった新たな発見もあり本当に興味深いですね。

 


私は主にTwitter( @yukishi19521227 )でラム先生や香港映画の情報発信しております。

ラム先生は亡くなって20年以上経ちますがいまだに新しいファンの方がいらして驚くばかりです。


ラム先生に関する情報は幅広くファンの方にシェアしたいのでオープンにしています。

誰にでもわかりやすく気軽に楽しめることが私のポリシーです。



Twitterの発信情報も含め(誤情報もあるかもしれませんが)生前のラム先生の交流のあった方々、映画業界の方からご提供いただいた貴重な情報です。

一人だったら決して知ることのできなかったこともありご協力いただいた皆様には心より感謝しております。

 

これからも香港映画ライフ楽しみます♪

 

20191227 ゆきし




 

↓インタビュー開始

このインタビューは九龍塘の亜州電視(香港のテレビ局)近くレストランで1996年2月27日に行われた。1995年ドラマ版霊幻道士1の大ヒットにより亜州電視は続編となるドラマ版霊幻道士2の制作を決定。それは1996年に放映されており、インタビューはその時行われたものであるため、ドラマ版霊幻道士に焦点をあてている。

 

※語り手:ベイローガン=B、ラムチェンイン=L

 

B:最初の質問はなぜ香港の人々は「キョンシー」に魅了されるのでしょうか?最初のキョンシー映画から現在のテレビシリーズまでの長い間…なぜ彼らはキョンシーや幽霊に興味があるのでしょうか?

 

L:私が思うに、香港の人たちはとても迷信深いのと好奇心の旺盛でキョンシーのことを知りたいと思っているので魅了されるのだと思います。特に、中国の人々と東南アジアの人々はその面で盲目的な信仰心を持っていて、もっと学びたいと思っています。そして不可思議でもあるので、彼らは探求したいのだと思いますよ。

 

B:あなた自身、たくさんの魔術映画のような霊的な存在を信じていますか?霊的なもの、吸血鬼、幽霊など信じますか?

 

L:いいえ、信じていません。

 

B:現代にキョンシーブームをもたらした最初の映画は霊幻道士で、今(1996年)はテレビドラマ版霊幻道士があります。映画撮影とドラマ撮影の違いは何でしょう?求められるところに違があるのでしょうか?

 

L:映画の撮影は綿密に計画されました、資金的なバックアップもあったし、事前準備もしっかりしていました。さまざまなリソースがあったからね。

テレビドラマ版の撮影はリソースも限られているため準備も不十分で、限られた予算で撮影しなければなりませんでした。

 

B:テレビドラマ版霊幻道士のシリーズ1はすでに放映されましたが、今は2番目のシリーズをやっていますよね?

 

L:はい。

 

B:(シリーズ2は)また30話ですか?

 

L:いえ、50話です。

 

B:香港の人は自分の見たものをそのまま信じる傾向にあるそうですが、ラムさんを本物の霊幻道士と信じて、妖怪退治の依頼が来るそうですが・・・?

 

L:確かに。ときどきありますね。でもドラマでの服装、口ひげ、髪型のイメージが強いのか、たいてい私(ラムチェンイン)とわからないようです。

 

B:実際に、映画の中のラムさんは常に真剣で見えるけど、普段はとても幸せそうに見えフレンドリーだから、全然ちがいますね!

 

L:(笑う)

 

B:ラムさんがキョンシー退治本を出したら、ヒットすると思いますよ。

 

L:個人的にキョンシーや妖怪に興味がないので本を出すことに興味はありませんが、これまで道士役を演じたことで視聴者は私を本物の霊幻道士だと信じています。物語はフィクションですがとても真剣に(道士を)演じていますので、視聴者は信じてしまうのでしょうね。

 

B:何年か前、ゴールデンハーベスト社は、Demon Hunters というタイトルの米国版霊幻道士を作ろうとしましたが、撮影一週間で打ち切りになりました。それについて少しお話できますか?当時の状況を覚えていますか?

 

L:キョンシー映画は日本市場に参入し大きな成功を収めましたが、このような映画は莫大な費用と多くの人手が必要になるため製作を中止しました。

 

B:いやいや。その前に、アメリカ人俳優のジャック・スカリア、ターニャ・ロバーツ、そしてプロデューサーのデビッド・チャンと共に、霊幻道士の英語バージョンの予定でした。なぜ撮影をやめたのですか?1週間後に映画をあきらめたのはなぜですか? 覚えていないのですか? 約10年前ことです。

 

L:たぶん、それはキョンシー映画ではなかったのでは?

 

B:本当にその映画のこと覚えていませんか?

 

L:ええ。

 

BOK!続けましょう。


B:俳優として、武術指導として、ブルース・リーのそばで働いていましたね。彼と初めて会った時のことを覚えていますか?

 

L:ドラゴン危機一髪の撮影でした。ブルースリーはとても正義感が強く、とても忍耐強い人でした。私が覚えているのは…ある日、タイ人ボクサーがスタントマンの腕を折ってしまったのです。ブルースは激昂しボクサーに戦いを申し出ました。ボクサーに駆け寄ると「君は私とやり合えるほど強いのか?怪我をさせないようコントロールすべきだ。撮影中なのに、どうして腕を折ったのだ、容赦しようと思わないのか?」リーはボクサーに戦うよう強く迫っていました。

 

B:最終的に戦ったのですか?

 

L:いいえ、ボクサーはブルースの名声と強さを恐れ、後退りで出ていきました。ブルースは本当に怒っていてずっと罵っていましたね。

 

B:ブルースリーの真実とは何でしょうか?彼は自分自身で武術指導(アクションに振り付けを行うこと)したのでしょうか?それとも映画のクレジットにあるように彼を補佐した人物がいるのでしょうか?

 

L:ブルースはとてもクリエイティブな人でした。誰もリーの代わりが出来ませんでした。だから彼を(演技などの)指導をしたり、コーチをしたりできませんでした。ブルースは自分の動きは全て自分で作り、誰の教えも必要としませんでした。脚本の構想やストーリーは助言を得ましたが、アクションだけは決して助けを必要としませんでした。ハンインチェ(韓英傑)もアクションのリズムや雰囲気づくりの手伝いをする程度でした。

リーがアクションを作っている間、スタッフはそのアクションが出来るまで待たなければなりませんでした。

 

B:ある人々が、ブルースリーはとても強かったと語っていますが、彼は映画以外で、闘うことは一度もありませんでした。ブルースが闘いの誘いを受けていたら、あなたは闘いが起きるのを見ていますよね?

 

L:ブルースはいつも海外で挑戦を受けていました。決して自分から手を出さなかったけど、身を守らなくてはならないときは反撃していました。

いつもブルースと勝負をしたがっていた Lau Tai-Chuen (劉大川) と呼ばれる人物が香港に戻ってきたとき、新聞でリーを批判しました。彼らは一度顔を合わせたことがあり、リーはそのとき静かなところに身を隠し、彼(Lau Tai-Chuen )足の使い方を観察し始めました。ブルースは見ただけで彼はカンフーの心得が全くないことがわかりました。だからパンチは一回しなかった。たった一回だけ!

ブルースはとても親切な人でした。老人がとても重いカート(荷車)押していたとき、ブルースが駆け寄りカートを押すのを手伝っていたのを覚えています。

 

B:ブルースリー最後の映画は「燃えよドラゴン」と言われています。あなたはこの映画で副武術指導としてアクションの振り付けの手助けをしていましたね。

それにしても香港で、アメリカ人の監督とプロデューサーとアメリカ映画の撮影をすることの問題とはなんでしょうか?香港映画の撮影とは違うのでしょうか?

 

L:私はスタントマンの武術的な動きのアレンジでブルースの手伝いをしました。香港スタイルで撮影したのでそれほど問題はありませんでしたよ。アクション映画だったので、あまりセリフはありませんでした。

 

B:あなたは悪役 シーキエン(石堅)のスタントをされていましたよね?

 

L:そうです!ブルースリーに打たれたのは私です!(笑う)

 

B:何人かのスタントマンがこの映画のワンシーンでブルースに挑戦したと聞きました。その全てを目撃しましたか?

 

L:その映画には多くのスタントマンがいましたが、ブルースと戦いたいと思ったのは一人だけでした。真実は、これらのスタントマンは様々な場所、様々なカンフー学校から集まっており、みんなブルースリーの働きを称賛していました。だから彼らはブルースの働きを見るためそこに集まり、無償でスタントをしました。

 

B:ブルースリーは、その(戦いと言っていた)スタントマンを打ち負かすのに、なんの(攻撃)スタイルを使ったのですか?

 

L:いやいや、これまたワンパンチだけでした!(笑う)

 

B:未完成となった死亡遊戯でもあなたはブルースと共に働いていました。いくつ撮影が終わっていたか覚えていますか?

 

L:ブルースは3分の2を撮り終え、残りの3分の1はスタントマンたちによって行われました。そして彼らはプロット(脚本の筋)の変更も行いました。

 

B:私が知っているかぎり、多くのシーンは撮影を終えていましたが、最終的にリリースされたものには使用されませんでした。ブルースによって完成された塔は何階までか覚えていますか?

 

L:ちょうど三階です。

 

B:この映画のストーリーがどうなるかブルースは教えてくれました?

 

L:ブルースは事前に塔の各階ごと、詳細を計画していませんでした。各階の撮影ごとに考えた感じです。

彼は3階で終了させました。彼はこの映画で最高の武闘家を演じたかったのです。

ご存知だと思いますがブルースはすでに伝記映画の撮影に興味が向いていました。その映画は「細鳳」という題名が付けられることになっており、それは彼のニックネームでもありました。

 

B:えぇ!本当ですか??

 

L:はい。計画をはじめていました。

 

B:死亡遊戯の後の計画ですよね?

 

L:おそらく。

  

2/2に続く…