連休中に見た映画「アマデウス」。
公開当時、
初日に映画館にすっ飛んで見に行った思い出の映画を。
40年ぶりに再鑑賞しました。
多くの映画は内容をすぐに忘れてしまうのに、
この映画のことをとてもよく憶えているのは。
それだけ心に深く刻まれていた、
ということだと思うのですが。
今回初めて見た15歳の時とは、
全く違うことが気になりました。
この映画は有名な作曲家であるモーツアルトと、
公開当時はほぼ忘れられた作曲家という扱いであったサリエリとの間の、
友情と確執を中心とした不思議な因縁を。
実話ベースにフィクションを絡めて作られた、
戯曲がヒットしたのを受け。
さらに映画化した作品。
アカデミー賞も受賞して、
映画の方も大ヒットしました。
この映画のおかげで、
サリエリという作曲家にスポットが当たることとなり。
後にチェチーリア・バルトリが、
オペラアリア集を録音するなどの恩恵はあったものの。
モーツアルト殺しという、
単なるフィクションが有名になりすぎてしまった感があり、
気の毒な側面があるということをまずはお伝えしたいです。
サリエリがモーツアルトを殺したという噂は、
ロッシーニによるイタリアオペラが大流行した時代に、
風向きが悪かったドイツ勢による風評被害を受けたことに端を発してるというのが通説であり。
サリエリの晩年にあたるその時期、
彼がイタリア勢の中では一番の重要人物というポストにあったが故に、
そのような疑惑に巻き込まれてしまった・・・
というのが、
現存する資料の中から導かれている、
本来の一般的な解釈だったりするのです。
サリエリという人は、
作曲家として素晴らしいだけでなく、
調べれば調べるほど優れた人格者であり。
チャーミングな人でもあったようで。
その辺の描写は、
映画の中でもちゃんと描かれています。
天才ではあるけれど、
天然で問題児ともいえるが故、
生存中は常にお金に困窮して決して幸せな人生を謳歌していたわけではないモーツアルトに比べると、
折り目正しい品格と、
才能に恵まれ生存中に大出世して尊敬された
(変な噂を流されて晩年気に病んだとはいえ)サリエリという表の対比。
神に選ばれし才能を与えられたモーツアルトと、
そうではなかったサリエリという。
裏で逆転構造で描かれていた、
映画(戯曲)の中の対比。
裏テーマが通奏低音のようにベースを支え、
表テーマが流麗に煌びやかに旋律を奏でストーリーを展開していく様は。
モーツアルトの軽やかにして美しい音楽であるが如く。
美しくも切ない極上の娯楽作品に仕立て上げられており。
アカデミー賞受賞作品に選ばれることにも、
大いに納得できる素晴らしい映画であることは間違いないけれど。
大人になってからの私は、
多少サリエリに対しての知識を得ていたため。
サリエリの描かれようが
少し残念に感じられるようになってきたのです。
15歳の当時、
私がこの映画を見た感想は。
「サリエリとモーツアルトの因縁を描いた映画‥‥
なるほどよくお父さんから聞かされていた例の話だ」
という単純なものでした。
この映画公開のはるか昔から。
私はなぜか、
父からサリエリの物語をよく聞かされて育っていたのです。
長くなったので、
ここで一旦区切ります。