こちらの本は読了。
受難曲やミサ曲、カンカータなど、
教会で演奏される宗教曲にもいろんなタイプがあるし。
それぞれの曲の性格や意味、
あとはそういった宗教的なものとは区別して作曲したものもあり。
そういう細かなことも面白かったのですが。
一番心に残ったのは、
126ページ目のこの文章。
オルテガの言う「大衆」、またそれに対する貴族とは、決して社会の階層や出自のことを言っているわけではありません。オルテガは言います。大衆とはおのれ自身を特別な理由によって評価せず、「みんなと同じ」であると感じても、そのことに苦しまず、他の人たちと自分は同じなのだと、むしろ満足している人たちのことを言う。(オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆」 佐々木孝訳 岩波文庫 二〇二〇年 六九頁)
これに対し、オルテガの言う「貴族」とは、「常に自己超克しようと努力する生、あるいは既存の
自己を超え出て、自らに義務や要求を課することへ向かう生のことである。」(前掲書 一四〇頁)
オルテガは、あらゆる争い、内紛や宗教的政治的対立は、このような「みんなと同じ」と感ずることが心地よい人々が「大衆」となって、それぞれのグループの内側に向かう親密感を増大させ、必然的に外に向かっては排他的になっていくことにより引き起こされると分析しました。そのような理由によって、大衆とは本質的に、暴力的になり野蛮になる性向を持っているのです。
これは、 私たちの社会の中でも、日々目にする卑近な例に困らないでしょう。
毎日このことを、
考えさせられてしまいました。
ちょうど中東の社会情勢も、
大きな出来事があったので。
思わずこんな本も借りてしまった↓
今月から、
ゴルドベルグ変奏曲の中の見せ場の一つ「第五変奏」に取り掛かってます。
右手と左手が交差したり、
重なり合ったり複雑な動きを見せてとてもカッコいい曲。
右手も左手もト音記号とヘ音記号が頻繁に入れ替わり、
頭がこんがらがり。
練習中何度も発狂して雄叫びを上げています。
こんなことにも動じない、
精神的貴族に私はなりたい。