またまた夫です(笑)

 

長いけど我慢して読んでみてください。

私のこと少し分かるかも知れません(笑)

 

ゆきさなのリヤカーを引く夫を読んで改めて当時を回想したくなりました。

 

リヤカーをひく男と結婚してしまった私 参照ダウン

http://ameblo.jp/yukisanan/entry-12223393313.html

 

 

建築士な私は当時前妻と離婚して3年目か何かで、

所有のマンションは定期借家してまして、

向島の芸者さんに賃借してまして帰るに帰れず、

千駄木のレンタルルームから通いで、

池袋の原発の開発部隊に派遣されて、

企画書なんかを纏める部署に配置されていて、

すごく酷使されていました。

 

それまでの私は、

建設工事の監理が主な業務で、

5年目くらいで、

良質の業者に当たればその気楽さたるや他の追随を許さないほどの気楽さで、

職域を地方に移せばその気楽さが保証される立場でした。

(大げさですね、事故おこせば地獄DEATH笑い泣き

 

地方での監理業務を視野に入れていた私は、

地方の大型プロジェクトに触手するコンサルに常にアプローチしていて、

自分のキャリアに合致した西日本の案件を持つコンサルとたまたま関係を持てたので、

どうせ所有のマンションにはあと1年は戻れないんだしお金いいし、

九州に赴任の話にまんまと乗っかりました。

 

千駄木のレンタルルームからPCで平面図のみでアパートの賃貸借契約の仮契約をして、

現地に乗り込んだのはその数日後であったこと記憶しております。

 

コンサルとの契約を経て人生初の九州上陸を決意した時から、

1週間後には九州大分の賀来というところに居住していました。

 

勤務は、国営から民営化されて10年ほどの企業で、

公務員色が色濃く残る職場で、

ある程度の年齢の者が突然現れて、

何か戸惑ってるというか部外者感は長い期間拭えなかったけど、

建築士が圧倒的に少ないのです。

 

業務規則に従えば何も言わないし今思えば次年度もお願いしたかったんだろうし、

東京の住居を処分して拠点をこちらに移すことを望んでいたように思います。

 

首都圏に集中する人材を地方に分散することが、

建築コンサルに課された命題であることものち知りました。

 

このようにして地方都市のお気楽な管理業務に就いた私は当然のごとく、

バス釣り三昧の生活にどっぷり浸るようになるのです。

 

九州を新たな拠点とした私ですが大きな失態を犯しておりました。

 

前述のPCにてアパートを決めた際に、

平面図のみで住居を選択したのですが、

実際の高低差が尋常でなく、

道中険しくて通勤に支障をきたしました。

 

のち自動車を購入するのですが、

それまでの移動手段が自転車でしたので趣味の釣り具を運搬するためにリヤカーを装着するという暴挙に討って出たのはこの時期です。

 

建築資材でリヤカーとサドルを緊結しました。

リヤカーが独立して稼働するようにトレーラーのようにカーブを自在に曲がることができるよう改造しましたよ(笑)

 

そして狂ったように賀来と芹川ダムを往復しました。

雨の日も風の日も。

以前は雨の日は鬱でしたが、

雨の日が好きになりました。

バスが釣れるから(笑)

 

週末業務が終わると帰宅しますが、

アパートには居たくないのでリヤカーに釣り具を積んで

夜な夜な芹川ダムに出発しました。

嵐の日もです。

 

途中雨が酷いと建物の軒先で雨宿りしてダムを目指しました。

山頂付近では建物が無いのでトンネルで寝ました。

数メーター横を猛スピードで車が行きかいます。

当時正気の沙汰ではなかったですね(笑)

ほんの数年前ですけどね。

 

ちなみに芹川ダムは九州屈指のバス釣りのメッカで、

私の言葉で表現するならばバス釣り天国です。

 

ビッグバスを次々とキャッチしましたおさかな

 

ビッグベイトルアーのジョインテッドクロー178でビッグバスを1日4匹キャッチしました爆  笑

 

OSPルドラ130SPでビッグバスを数十匹キャッチしましたよ。

(OSPルドラ130SPのネ申がかり的な集魚力についてはまたの機会に書きますね)

 

地元の釣りファンの熱意が行政を動かしてダムを一般市民に開放してるんですよね。

こんな粋な地域が他にありますかはてなマーク

 

特定外来種に指定されたブラックバスという魚は、

他の地域では大概生態系を崩してしまう邪魔者扱いですけどね笑い泣き笑い泣き

 

これだけ管理が行き届いたレイクですので禁漁期(釣りができない時期)があって、

確か11月中旬から3月末まで?

あたりと思いました、当時は。

 

バスに洗脳された私は冬季の活動の場を自宅の賀来から、

100キロ離れた下筌ダムに移すのです。

すでに車を入手してましたから。

(のちこの車でゆきさなさんとデートしたことで急速に接近して結婚にいたるんですけどね。

こんど書きます。)

 

そして毎週毎週通いました。

正月も東京には帰省せず通いました。

基本、車中泊です。

冬季の気温はさほど本州とは変わらず、

11月中旬以降バスは全く釣れなくなってしまいました。

4ヶ月バスのアタリは無しでしたよ。

ミノーでトラウトが数匹釣れましたけど(笑)

 

そして3月15日の初ヒットが53㎝の自己最高だったのです。

ちなみにヒットルアーはメガバスのワンテンマグナムです(笑)

 

ドラマチックでした、たぶん涙が出てました。

 

だって辛かったもの。

 

湖上に浮いてても前妻とのありもしない復縁を期待して考え込んだり、

実娘のこと考えたり。

 

辛い日々でした。

富山→福島→大分→岐阜と彷徨ってました。

ゆきさなさんと出会うまで。ポーンポーン

 

 

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本文と関係ないけど、

琵琶湖でよく借りるチャンピオン艇アップ

 

 

 

そしてゆきさなさんと結婚して2年目の春に、

妻と妻の母親と共に大分に旅行に行くことになるのです。

 

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宮崎県高千穂渓谷

義母の希望で訪れた超有名スピリチュアルスポットアップ

 

 

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別府湾を望むアップ

 

 

3年ぶりの大分です。

 

地元から1300キロ離れた大分津久見の食堂で、

まぐろ丼をほおばる途方に暮れた自分を思い出してました。

 

そしてその食堂で、

今まさに目の前の新しい家族と食を共にする自分には、

ゆきさなさんが運命のひとと疑う余地は微塵もなかったです。

 

そして彼女に完全にのめり込んで行ったのです。

知り合ったとき以上に。(つづく)

 


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