同じ道を志している表向きの仲間っていうのは、隣にいる人を本当に仲間だなんて思ってないはずです。
私も高校生のときは放送部だったので、全国放送コンテストの練習のときは部室が本当に静かだったのが怖かったものです。
だって・・・放送部・・・ですよ。
ガヤガヤ、ペチャペチャしゃべくってるのが普通です。
私は行事がないときは、いつも勝手に当番と称するものに参加させられていましたが、入試のときとか、生徒が休日のときに休日出勤でした。
大学ノート2冊と食堂の券1回分(カレーか中華丼選択あり)ほどの報酬でした。
逆にいえば、私が出なければ入試は始まらない。
結論はそうなんですが、なぜそうなったか?コンテストの地区代表で生き残ったのは私だけだったので。
中高一貫教育の学校だったので、部活も中学生の方が先輩だったりするんですけど、私も高校から受験で入ったので、表向きは「先輩」と呼んではくれるんですが、学校の代表となると私に勝てて当たり前と思っている中学生がとっても多かったんです。
でも朗読の部で代表に選ばれたのは私。
あとで、めっちゃ文句を言ってる集団がおりました。
高3の先輩ははっきりいっていましたが、「作品に対する思いが中学生なのよ!つまりおこちゃま理解ね。」
「高校生の物の見方という部分で、当然語り掛ける方法も変わってくるのは当たり前のこと。」
それは基本的な練習だけで決まるものではないということ。
自分の人としての成長も実力の差。
のような説明を受けても後輩たちは文句言ってました。
もともと私は誰かとつるんでるっていうのは嫌いだったので、自分で考え自分でやる方でしたので、うっとおしいなと思う人にはきちんと照明当ててやらない。カメラをわざとずらしておくとか反撃はさせてもらっていたんですが、それすらもわかってないみたいでしたね。
ふだん、私はビデオカメラとか照明とか電気屋のおっちゃんたちと話すのが好きだったので、ミキシング担当を自主的にやってました。
口だけ女ちゃんは重いものを持つのを嫌がるので。
なのに・・・自慢の口でも負けなんだもんねえ。
頭悪い女は自分を磨くことよりも、出る杭をたたいて貫きたがるものです。
その結果休日出勤が当たり前になったんですが・・・それもわかってないな~~~って思いましたね。
休日ひとりで当番していると、卒業したOGがよくスタジオまで差し入れ持ってやってきてくれます。
ときには、しばらく応援にきた妹さんを待つのにスタジオでテレビ見ていたり、寝転んでたり。(おぃ、くつろぎ場所に使うなよ。)
ある意味、私は先輩には恵まれていたようで、練習はきつかったけれど、先輩をきれいに映そうと努力していたらしいので(相手がいうのにはね)お世話になった後輩らしいです。
私からすれば早く機械に慣れようとがんばってただけなんですが・・・。
違うことをやっていたのもよかったのかもしれませんが、全く同じことをやっていたらこういう個人芸的な部活は自分以外がライバルなわけで、社会で3年くらいの開きだと同期と変わらないですよね。
何がいいたいかというと、若いときの記憶はかなり残っているものだということです。
宝塚なんかもいじめがいきすぎた行為なら、やった本人が追い詰められて今度は自分が精神を病むのも時間の問題かと思います。
結局ね、自分はどうだったのかを知っているのは自分だけですからね。
それをたとえば、文春みたいな記事にしようとする組織が追求してくれば、最初は「ふん!」だけで済んでいたこともそうではなくなってくることもあると思うのです。
検査拒否が当たり前なくらい多額の寄付でもされている親がいたとしても、守られてるのが当たり前が育った子は守られなくなったときにはもう終わりです。
親やまわりがよかれと思ってやっていたことが、世間では通用しない。
自分だけわからないうちにおいてけぼりされていく。
自分にはわかるはずです。
そのときにどう謝罪していいかもわからない。どうきりだせばいいのかもわからない。
人としての成長を止めてしまっていいんでしょうかね。
逆の立場でいうなら、子どもがもう精神的に目の色がおかしいと親が感じたのなら、車に押し込んででも精神専門の病院に入院させるとかして守った方がよかったのにって思いますね。
うちの母がにおい病でおかしかったときも、本人には専門のカウンセリングにいくとか騙して車に押し込んで病院につれていったら鉄格子のある部屋に入院することになりました。
その日の夜中にはカード類や通帳類すべて出金不可能になるような電話を自分でしてました。
それも病院の公衆電話からです。
こわいこわい・・・・それだけだったらしいですから。
そういう努力をされなかったのかな・・・?って。
まぁ普通の人は知ろうともしないでしょうけどね。私は小学校5年くらいから母の様子がおかしいと思って中学生のときには伯母が母を病院に連れていってしまって、自分のお弁当も自分で用意して父も帰宅しなくて、唯一の救いは父の口座のキャッシュカードを置いていってくれたことだけだったけれど。
小さいときからいろいろわかっていた分だけ助かりましたね。
宝塚では阪急電車に先輩がいるかもっておじぎするらしいけれど、今だったら駅員の数が足りないのだから、待ち普通電車の車掌さんが一時的に駅員して特急電車を見送ったりしてるんだし、代わりに指差し手伝いでもしたらいいんだって思いますね。
先輩が乗っているからではなく、ボランティアで阪急電車業務を手伝えって思ってしまいます。
それに女性組織について男性がとやかくいうと、翌日から「男は敵!」っていうふうになりがちですよね。
だから男性の側はめんどくさいから「それなら、きっちりやってください」っていうだけになっちゃうかもしれませんね。
女のしょうもない伝統のことなんかで忙しいのにまだ時間とられてたまるかって男は考えがちですね。
もう結果は見えてるかと。
都会に野生動物がやってきたり、戦争が当たり前に起こったり・・・すべてを考えると地球が人間という害虫を排除しようとしているのかもしれません。
いちばん最後に賢い男女の人間のような生命体が残ればそれでいいんでしょうけどね。