地元の友人と会わなくなって
もう10年くらいになるかな
いろんな理由があるけれど
大きな理由のひとつが
この一言に違和感を感じてしまったから
「由希ちゃんは
東京でバリバリ働いてすごいよね
こんにちは
紺野由希です
東京で会社員をしていた頃
地元の友達に言われたひとこと
「ゆきちゃんは
東京でバリバリ働いててすごいよねー」
「バリキャリ、キャリアウーマンって感じ」
随分前に言われたはずなのに
この言葉が、ずーっとずーっとひっかかってた
なぜって
当時の私は
バリキャリどころか
自分に自信なんて全くない
コンプレックスの塊だったから
働いていたのは
大手の外資系金融企業
男性も女性も
仕事ができる人ばかりで
バリバリ働いてた
そんな人たちをサポートする
秘書やアシスタントの人たちも
細かいところまでよく気が付く
できる女性ばかり
その上 帰国子女も多いから
英語が流暢に話せるのは当たり前で
なのに私はといえば
残業してまで働くことなんて皆無だし
毎日ゆるく働いてる
論理的に話をするとか全然無理で
仕事は感覚的にやっちゃう人で
英語を話すのはめっちゃ苦手
周りの人の
専門的な仕事に比べたら
知識も必要ないし
誰でもできる仕事なんじゃないか
どこかでそんな風に思ってて
でも
仕事が嫌いなわけじゃない
どちらからというと
楽しくて働いている
なのに
いつもいつも
こころの隅で
ダメな自分と闘ってて
自分にダメ出ししまくっていて
周りから見たら
バリバリ仕事をしている
『バリキャリ』女性に見えても
こころと頭が
ちぐはぐで ばらばらで
周りの人に恵まれていて
仕事が楽しかったからこそ
自分のと周りの人を比べては
中途半端な自分が許せなくて
苦しくて苦しくてしかたなかったんだよなぁ
そう、バリキャリと言われて感じた
違和感の正体は
「内と外のギャップ」
だったんだね
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私には
何もない
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いつも
そう思ってた
だから
「バリキャリ」って言葉に
違和感を感じたんだ
バリバリなんて働いてない
何なら緩く働いてる
誰もがやれることをやってる
周りの人ほど
必死に働いているわけでもない
エネルギーを注いでいるわけでもない
バリバリ働いてなんてないのに
あの人たちに比べたら…
自分ができないことばかりを
ひたすら数えて
自分ができることは
そんなの当り前だとスルーして
価値がないものだと
決めつけてきたから
だけど
「ない」 と 「ある」 は
ふたつでひとつ
実はセットで
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ない
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がわかるのは
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ある
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を知ってるからなんだよね
「ある」を知らないと
「ない」を理解できないし
その逆もまたしかり
「ない」んじゃなくて
「ない」と思っているだけ
「ない」と思っていれば
「ある」は見えないんだよね
それでも やっぱり
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何もない自分
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に悲しくなってしまうこともある
「ない」ばかりに目が行って
しんどくなってしまうこともある
自分に「ない」ものに
フォーカスして
苦しくなってしまうこともある
そういときがあってもいい
なくそうとしなくていい
あるものは ある
「何もない」と思うと
「ない」 しか見えなくなる
それは
脳の仕組みがそうなってるから
しかたない
だけど
それだけ たくさんの
「ない」 を探せるってことは
同じだけの 「ある」 も
ちゃんと存在しているってこと
同じだけの 「ある」 も
探せるってこと
「ない」 の裏には
「ある」 が隠れてるんだなぁ
だから
フォーカスするものが変わると
180度コロッと見える景色が
変わってしまうんだよね
だとしたら
あなたは
「ない」 を見たい?
「ある」 を見たい?
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