紺野由希 の マイストーリー ♡ 思春期編 ♡ 15歳の試練がやってきた! | 〈宇宙人 ゆき的〉ちきゅうの歩き方 ~ 宇宙の法則×こころのしくみ ~ by 紺野由希
こんばんは。
アラフォー現役秘書の 紺野由希 です。
週末起業を目指して模索中の日々 
紺野由希ってどんな人⁇
と言うわけで
今日は 第2弾 ♡思春期編♡ です 
紺野由希
☆ 週6日は 習い事
たくさんの中から何か好きなことを
見つけてくれれば、という 母親の教育方針もと
絵画・習字・ピアノ を習っていました
加えて、自分から バスケットボール をはじめ
習い事三昧に!
☆ 小学校の成績は良い方で
学級委員や班長を進んでやる優等生
☆ 9歳の時に1番下の妹が誕生
小さい母親として 子育てを経験 ( ´艸`)
サンタクロースに妹を頼んだという逸話付き
☆ 男の子に負けるのが1番嫌い
ケンカをしたり 言い合いをしたりの日々
☆ 国語に力を入れている小学校だったため
作文や感想文が大好きに
☆ 6年生で 田舎の新興住宅地に引越し
都会とのギャップにカルチャーショック
授業中に
勝手に教室を出て行く同級生を見て
中学受験を決心する 
☆ 国立大附属の中学に進学
できる人ばかりで
違う意味でカルチャーショック 
☆ できる人のばかりの中
2番手の心地よさを知る
誰かのサポートをすることに目覚める 
☆ 人生初のモテ期到来
☆ 高校受験に失敗
15の試練に打ちのめされる
高校受験の思い出を少し…
私の地元は 当時
学区内の 私立と県立 各一校ずつしか
受験ができないシステムでした
なので
私立は確実に受かるところを受け
県立で ちょっと無理めの挑戦をする
というのが 当時の 一般的な高校受験の方法
だったのですが…
私は
確実に受かるはずの 私立高校 の受験に失敗し
不合格となってしまったのです

受験日
英語でつまづき
他の科目も心ここにあらずでした
ダメかもしれない・・・そう感じていました
合格発表の日
私たち生徒は授業があり
先生や親が発表を見に行っていました
当時は携帯電話もない時代で
休み時間には 校舎一階の公衆電話の前に
長い 長い列ができていました
私は 家にいる母親に電話をしたのですが
ダメだったよ・・・
母親はそう言いました

やっぱりそうか・・・
ショックでしたが
どこか冷静な自分がいました
じゃ、県立はどこを受けよう
自分が挑戦したかったところは 受けられない
レベルは下げないといけない
どうしたらいい?
なにができる?
放課後 担任、呼び出された母親と私で
今後の作戦会議 が開かれました
私の住んでいた地域の学区には
進学校として トップのS高校が君臨し
そのすぐ下に J高校
少し空いて R高校 がありました
当時の 私の成績では
S高校は 小指が届くか届かないか…
私立を失敗した この時点で 候補から外され
J高校か もっと安全圏をとって R高校か…
J高校は
成績を見れば十分届くところでしたが
問題は 通知表の点数 でした 
私は 国立の附属中学校に通っていたため
相対的に見ると 通知表の成績が低くなり
必要な数値ギリギリになっていたらしいのです
担任は それを とても 懸念していました
母親は
どちらでも あなたが 好きな方を受ければいい
そう言ってくれました
15歳の私は脳内会議 
2つもレベルを下げたくない
でも また落ちたらどうする?
行きたくない 1.5次試験で受ける予定の
私立高校に通う?
どっちも嫌だ!!!
私は S高校に行きたかった
でも、無理だとしたら・・・
無理なら せめて J高校に行きたい!
そして いつの間にか
自分自身 に宣言していました
絶対に J高校に 合格する!!
行きたくない 私立高校には行かない!!
そう強く決心して
担任に伝えると
君がそう決めたなら 頑張りなさい
きっと 大丈夫だよ
そういって 背中を押してくれました

結局
私は 宣言どおり J高校に合格しました 
それも 学校から ただ一人 
すごくすごく辛くて
人生は思い通りにならないんだ…
ということを 知った15歳の冬でした
と同時に
腹から決めたことは 現実になるんだ…
と気づいた15歳の冬でもありました 
もうひとつ、母親の話ですが…
母親は 受験当日の朝に 私が不合格になる夢を
見たのだそうです 
高校に行って 受験番号を探したけどなかった
何度も何度も繰り返し確認したけど
番号は見つからなくて
あぁ。。。落ちちゃったんだ
そう思って目が覚めたんだそうです
で、合格発表の日に 校門を入ったときに
夢で見た景色と全く一緒だったので
見る前に あ。。。って思ったんだそうです 
母親の勘ですかね
今は 笑い話です 
いろんなことを 乗り越えて 今の自分がある
そのことに 感謝です
次回は ♡青春編♡ です
愛をこめて
由希

