1970年4月5日‥
初めてのパリは、凱旋門で待ち合わせた友人のスッポカシからはじまった。
待ち合わせた沢田画伯は、一時間待っても、とうとう現れなかった!
ここ凱旋門で画伯と待ち合わせ、アタシは画伯から、日本へ帰国するため
の軍資金を借りることになっていた! だけどぉ‥‥あ~あ、やっぱ沢田さ
んも、ビンボー画家なのかも? 絵描きはビンボーだと相場が決まってる!
ルミ子とアタシは‥‥でっかいトランクを引きずって‥‥当時のスーツケー
スにはクルマがついていないのである。アタシのトランクは多分ベニヤ製で、
横幅が優に1メートルはあった!‥‥を、ルミ子のトランク共々タクシーに放
り込んで、なぜか‥‥ミラボー橋へとやってきた。
《ミラボー橋の下を セーヌは流れ
そして我らの恋が流れる》‥‥‥‥堀口大学訳
詩人アポリネールと、画家マリー・ローランサンとの束の間の恋‥‥第一次
世界大戦が迫る、不穏な時代だったという‥‥。
パリへ着いた時、最初に脳裏をかすめたのは,あの詩の「ミラボー橋」だった!
不安な時代の切羽詰まった恋‥‥を想像しながら「ミラボー橋」へやってきた!
いったいどんな橋だろう?
流れるセーヌをはさんで橋がかかっていた。
その橋の下に、アメリカの【自由の女神】をズ~ッと小さくした、同じ【自由
の女神像】が立っていた! あらまぁ、アメリカと同じ女神だわ!
後に知ってみると、フランスはアメリカの独立100周年のお祝いに、この【自由
の女神像】を贈ったのだそうだ。そして‥‥フランスの万国博覧会のとき、今度は
アメリカが【エッフェル塔】をプレゼントした‥‥と、読んだ記憶がある。
いまはむかし‥‥1895年代のオハナシだけど♪
思いがけずミラボー橋から見る風景は、あまりパッとしなかった。
対岸は労働者の街‥‥みたいな雰囲気だった!
ああ、パリにも労働者がいて、労働者階級があるのだと、現実をつきつけられた
気分だった‥‥。
とこう‥‥ルミ子とアタシのパリは《ミラボー橋》からはじまったのだった!