What a wonderful world

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結構揺れましたね。

怪我をした人などがいなければ良いのですが・・・。


今月、北関東に単身赴任となって3週間が経過。

こういう大きな地震があると、離れて暮らす家族が無事かどうか、いつも心配になる。また、東日本大震災以来、原発に影響がないか、常に不安を覚える自分がいる。


先日、「Fukushima50」を地上波で放送していたようだ。

自分は視聴していないのだが、当時の吉田所長をはじめとした所員の方々の懸命の戦いには本当に頭が下がる。


一方、今月上旬のEテレで「原発事故 最悪のシナリオ そのとき誰が命を懸けるのか」を放送していた。

東京を含む半径250キロ圏内、5000万人に避難命令を出さずに済んだのは、たまたま何かの偶然で2号機の格納容器に圧力破壊が起こらなかったから。日本が救われたのは本当に偶然の産物だったということで、このことは多くの国民が肝に銘じておくべきであろう。


通常の自然災害ならば、いずれは住んでいた場所に戻れるという希望があるが、原発事故の場合、人間の営みからかけ離れた年月、同じ場所に住むことは難しい。

地震が起こる度、自分のいる場所は大丈夫でも、離れた場所にある原発にひとたび問題が起これば、避難せざるを得なかったり、場合によっては帰還できないということになる。


こんなの、やはりおかしい。


先日、水戸地裁で東海第2原発の運転再開差し止め判決が出されたが、日本原電による控訴も予定されている。過去にも高裁判決で覆される例もあり、予断は許さない。

政府は脱炭素社会の実現に向け動き始めたが、政権内外では原発復権の動きを見せ始めている。

あの大震災を経験し、今も放射能汚染水を漏出させ続ける原発を抱えながら、どうしたらこんな恥知らずな考えになるのか、まったく理解に苦しむ。


コロナ禍において有効な手立てを講じられず、これ以上の打つ手なしとして、21日にも緊急事態宣言を解除とするような政権に、南海トラフの対応なんて無理に決まっている。一刻も早く全ての原発を廃炉として、国民の安全を図るべきだと思う。



事にあたって命を懸ける尊さの称賛に終始するのでなく、命を懸けなくても済むような、世の中の仕組みや関係性を構築していくことこそ、我々は取り組むべきではないだろうか。


と、久しぶりの投稿だけど、呟くことは相変わらずでしたね・・・。

と、腹を立てていたら、総理は散髪後に官邸にも入らず帰宅したとか。

津波注意報とかずっと出てたし、震源は女川原発に近かったのにね。


皆さま、余震に気を付けてお休みください。


















待ちに待った総理辞任。

病気での辞任ということだが、国民のため、辞めてもらって本当に良かった。

 

数年前から一秒でも早く辞任して欲しいと思っていたが辞める気配は更々なかったし、これだけ上から下まで腐敗が進んでしまうと、総理交代で既得権益を侵される輩も多く、なかなか周りも歯止めをかけられない状態だった。本人さえ望めば、他の独裁国家同様、再選を重ねていくことが容易に想像できただけに、第一次政権同様に中途で投げ出してくれたことに、ひとまず安堵したい。ビールもちょっと美味かったニコニコ

 

この7年8ヶ月で破壊された、戦後の日本の民主主義。

親アベ、反アベで分断され、現在も反目しあう国民。

経済も外交もズタズタ。明日の株式市場が恐ろしい・・・。

ある意味戦後の焼け野原に近いと思えなくもない。

 

 

元の輝きを取り戻すには、途方もない労力と時間を要するが、ゼロからの再建と前向きに捉えて、戦後の窮乏混乱の中をしぶとく生き延びた先人の知恵に学びたいところだ。

 

 

戦後は進駐軍が強大な権力で、国民を破滅に至らしめた統治機構を、公職追放などで全て破壊したところからスタートしたゆえに、進取の気質があったGHQ幹部や厭戦気分の国民感情との相乗効果で、理想主義的な憲法が生まれるなど、プラスの面も多々見られた。その後、冷戦による逆コースになっちゃうわけだけれども・・・。

 

今回の辞任は、国民が血みどろの闘争で引きずり下ろしたのではなく、本人がズッコケただけ。

国会議員、官僚、マスコミ、大企業の隅々にまで至るアベ的な統治機構はそっくり残されており、今後の再建がうまくいくかは、この切り崩しが出来るか否かに掛かっている。

 

まずは、総理お疲れ様でしたとか涙目で感謝の言葉を連ねている連中が、メディアの最前線から徐々に後退してもらわないと。

きちんとこの7年8ヶ月を評価し、裁かれるべき人は裁かれる世の中にならないと。

心ある人々が安心して声を挙げられる世の中にならないと。

 

首をすげ替えただけで終わってしまったら、本当に日本は終わりです。

 

 

 

広島に原爆が投下されて75年。

先日までの長雨が嘘のように、いつもと同じような圧しつけるような暑さの中、この日を迎えた。

広島、長崎、ソ連参戦、終戦・・・。

 

日本の夏は鎮魂の夏。

お盆も重なるこの時期は、例年であれば、帰省した故郷で先祖や自らの来し方を振り返り、不戦を誓い、平和な世の中であることに改めて感謝するところだが、今年は様相が異なる。

 

それは現在のコロナ禍が、ある意味戦争に例えられる状況にあるからだと思う。

最前線で闘う医療従事者は傷つき、銃後ともいえる国民の行動は制限され、毎日大切な誰かがウイルスに侵され亡くなっていく。

保身しか頭にない政治家達は、あり得ない愚策を大本営よろしく次々と繰り出す。

最高責任者が説明責任を放棄して逃げ回る中、疑問の声を上げた国民に対しては、”反日”と容赦ない罵声が浴びせられる。

有能な首長がいる自治体(念のためイソジンや雨合羽ではない)は、市民の命を守るために国の方針に抗わざるを得ず、このため各地で混乱を極めている。

 

ああ、先の大戦中も、おそらくこんな感じだったんだろう。

そう感じている人々は多いのではないか。

 

当時の感覚を追体験しているような中、改めて気づいたことがある。

為政者への盲目的信仰、データや科学を軽視する姿勢、マイノリティに対する差別意識、同調圧力が、他国に比して極めて高いことである。


残念ながら国民のマインドは、当時とあまり変化しなかったか、或いはここ数年で急速に当時に近付きつつあるかの、どちらかだと思う。


敗戦後、私は戦争には反対だったのにと、堂々と嘘をつく輩がたくさんいたそうだ。

今回は定めし、私はPCR検査拡充に賛成だったのにと、堂々と嘘をつく輩が大量発生しそうな感もある。



75年も平和を貪ってきた結果がこれでは、ご先祖さまも浮かばれないわ。


 

国内外に壊滅的打撃を受ける中、ポツダム宣言受諾を逡巡した挙句、2発の原爆投下、ソ連参戦で敗戦に追い込まれた当時の日本。

一方、データや科学を軽視する形で、使えないマスクを配り、PCR検査を抑制し、旅行を推奨。感染者数は急激に増加し、医療機関はギリギリ持ち堪えているが、戦争でいえば次々防衛線が破られている状況が現在の日本。

 

ワクチンには期待したいところだが、ハーバード大医学大学院元教授のW.ヘーゼルタイン氏によれば、エイズやSARS、MERSのワクチン開発には未だ成功していない。また、性急な開発がむしろ人々に危険を及ぼす可能性もあるという。


ワクチン開発に過度に期待することなく、徹底的な検査体制の確立、感染者の追跡・保護、行動様式の変化でウイルスを止めるのが大切であり、それが経済を回復させる有効な手段であると述べられている。

 


コロナで悲惨な焼け野原になることのないよう、一つでも大切な命が失われることのないよう、本当に政治には全力を尽くして欲しい。政治家が国民の命を守るため、必死に努力していることが判れば、国民だって当然努力するだろう。


ああしかし、2発の原爆投下のあと、どうだとばかりに叩きつけたのがポツダム宣言という認識の方に、データや科学を重視することは難しいのかな・・・。