感謝還暦! | 年金爺ゆきおの日常

年金爺ゆきおの日常

シニアタレント・LINEクリエイター・しかしてその実態は実質無職の
エンタメと歌と自然と郷土群馬を愛する昭和オヤジのブログです。


「 知らず知らず 歩いて来た 細く長いこの道
  振り返れば はるか遠く 故郷が見える・・・」
                (川の流れのように/美空ひばり)より




お蚕が繭を作り、その繭かき(繭を収穫する作業の事)作業に
猫の手も借りたい・・・そんな農繁期の最中にオレは生まれたらしいです。
60年前の今日、朝10時頃だったらしい。
助産婦さんさえいない閉村で、身内やご近所の方の力で
この世に出していただいたようです。



農家で使う篭を造る職人として独立した祖父さんが
祖母と所帯を持つにあたって、自分で材料を調達して建てたという
当時の我が家は、ホントに最小限の雨風凌ぐ程度の
子供ココロには、時々惨めに感じるほどの質素な家でした。

我が家にテレビが入ったのは、多分オレが小学2年生の頃かな・・・
初めてカレーを食ったのは、小学校3~4年生くらい
牛乳では無く飼ってたヤギの乳を飲み、飼ってた羊の毛を農協に出して
その毛から作った毛糸で編んだセーターを着て・・・・。
今では考えられない、半自給自足の生活だったんだなと思いますね。

今、NHKの朝ドラとかで、大正~昭和初期の都会の暮らしぶりをみると
オレが小学校高学年で、やっとそう言う存在を知ったかもの食い物を食べてる
みたいなシーンに出くわす度に隔世の感を感じてしまいますよ。ニヤリ

そんな小学校までの思い出の場所は、
その後のダム建設で、中学生になる頃には深いダム湖の底に沈んでいますが・・・。

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ピカピカの一年生の頃、国語の参観日とかの朗読で、
親父が芸能が得意だった事を知ってる父兄に
「カエルの子は・・・」的な褒められ方をした記憶や
当時同じ、「ゆきお」から勝手に親近感を持ちモノマネしてた橋さんの歌
図画工作、写生大会で褒められらた、オレにとっては希少体験が
今のオレのベースになってるのは時々感じています。

高校での思い出の大半は「演劇部」での事
若い頃の青年団活動、消防団経験・・・会社での37年半・・。


恋愛に関しては、初恋こそ早かったかもですけど
本格的恋愛は20代後半からと遅咲きで
2度の結婚、離婚の他、婚約してもう少しでゴールインまで行った恋愛も
実は1度目と2度目の間にあったりして。。。。アセアセ

まぁ、ここで語れる事なんて、ほんの上っ面だけですしねぇ~
いや~、ホントに人生イロイロですわな~。。。。。。。。。
オレと同じくらい、またはそれ以上に人生の年輪を重ねられた方なら
多かれ少なかれ、ほんとに波乱万丈の人生を生き抜いて来たんですよね。

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実はここのところも、体調、気持ちを含め色々諸々・・・
考え込んじゃって、立ち止まるような状況がなんやかやありまして
少し、ご無礼をさせていただいちゃってるんですけど。。。。
今日、各方面から沢山のお祝いのお言葉をいただきまして
また頑張ってかなきゃいかんよな、って気持ちになっっとります。


還暦の誕生日のお祝いの食卓も、
全て自分で、自らの為に準備するという空しさはあるんですけど
各SNSやmail、ブログを通じていただくお祝いの言葉は、
ここ数年、年を追う毎に増えていってるのは、
ホントに身に余る光栄で「感謝」の一言以外ありません。



「還暦」って言うのは、生まれた時の暦に再び還る事。

これから、オレの人生の「セカンドステージ」が始まるのか・・・
もちろん「ファーストステージ」ほどの時間的余裕も
体力も残されてない訳だけれども、
ファーストステージで得た経験でそこを補いながら、
もう少し頑張ってみようかなとは改めて思うのでありますよ。爆  笑


プライベートでも、仕事でも、
いまだに課題だらけの壁の中にいて、時々投げヤリになったり、
疲れを言い訳に、ご無礼する事も多々あるかと思いますが、
今後とも皆様のご厚誼を力に
頑張って参りますので、何卒宜しくお願いいたします。m(__)m



                ゆきお☆こと 新井幸男



他に着る事もないであろう、赤い〇〇セットは自分で買う気にもなれず
気持ちだけの、赤いバンダナとベストで・・・。
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6月23日の誕生花の一部、ユスラウメの実、ムラサキツユクサ
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同じく、タチアオイ
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