私自身1歳児の母であるので、子の不快感には敏感になっている。

 

そもそも、初めての母親業についた瞬間から、

「泣く」という不快しか表現できない赤子を育てるので、そりゃあ不快には敏感になる。

 

泣く=機嫌が悪い、泣く=体調が悪い、泣く=お腹がすいた

 

全て不快だけど、自分ではどうにもできない100%守らなければならない赤ちゃんという存在に対して、

私はできるだけ不快を無くそう、無くさなければと奔走してきた。

きっと、世のお母さん方(育児をするお父さんを含め)はみんなそうだろう。

 

しかし、職場に戻って7歳〜12歳の子供達を見るとどうだろう。

とにかく「不快」に耐えられない。

”耐える”という表現は適切ではないかもしれないけれど、何か不快なこと(人)があったときにに、それに対して自分で向き合うことができない子ども達が多くいる。

 

もちろん、”逃げる”という選択肢も大切な向き合う(対処)に一つに含める。

 

 

 

 

 

では今現場ではどうなっているのか。

 

親が我慢できずに出てきてしまうのである。

家で子どもがこぼした、不快な出来事に対して、

全て肩代わりをして親が解決しようと奔走してしまうのである。

 

するとどうなるか・・・

子どものストレスへの対処能力、問題解決能力が向上せず、さらに自己効力感も上がらない。

年齢が上がっても、親が出てこざるえない状況が続く(親は守っていると思っている)。

 

 

現場からすると「親が我慢できないから・・・」となるのだけど、

そして私も子どもを産むまではそう思っていたけれど、、、

 

 

じゃあ、いつからその不快に対処しないの?という明確な線引き、正解のような物を誰も持っていないから困ってしまうのだろう。

赤ちゃんの100%不快に対処してきた時から、一体どうやってその手を離していけばいいのだろう。

子どもの”幸せ”を願う親として、子どもが不快な状態であることがわかっているのに動かないことはとても不安なことである。

親として何が正しいのかを考える前に、「守らなければ!」という思いが先に来てしまう。

 

 

自戒を込めて、

 

いつか自分の足で、自分の言葉で世界の中に出なければいけない我が子の”幸せ”を想像した時、

それは不快を肩代わりすることでなく、

不快の状態を一緒に受け止めてあげながら、一緒に悩み考えることではないか。

子どもには力があることを信じて、見守ったり、支えたりすることではないか。

 

今1歳の我が子も、言葉が少ない中でも一生懸命自分の意思を伝えようとしている。

自分で伝えられるよさ、喜びを感じられるよう、

肩代わりしすぎないよう、気をつけて行こう。

 

現場では、そんな子供達に何ができるのだろう。