お盆に逢えること | 手をつなぎ歩き続ける

手をつなぎ歩き続ける

2022年9月14日 夫が旅立ちました

闘病中、戸惑いと怯えと闘いながらも、『夫と手をつないで歩き続けたい』
そんな思いで始めたブログですが、今は自分が支えられています

お盆休みを取っていたが、体調を崩し、父や夫をお迎えする準備を整えることができなかった


でもきっと凡てを上から見ていて『無理するな』と言ってくれているに違いないと、勝手に解釈している


亡父の臨死体験を聞いたことがある

父がまだ30代の頃、血管が壊死していく難病で、麻薬も効かぬ壮絶な痛みに苦しむ毎日だった

痛む足をナタで切り落としたいと思う程の痛みだったと聞いている

痛みが退かず麻薬を要求するため、まるで中毒者のようだと言われ、誰にもこの痛みを理解して貰えないことも、更に痛みを増幅させる要因だっただろう


根治治療が確立されておらず、十数回に及ぶトライアル的な手術を繰り返していた時、術中に心肺停止となった


手術室の中で緊急処置が繰り広げられ、無影灯の高さまで体が浮き、処置を受ける自分を見下ろしていた


やがて息ができなくなり目が見えなくなり、医師たちの声も聞こえなくなり、ただただ苦しさのみの世界に入った


やがて、自分の母とまだ5才の幼い娘(私)が棺の中の自分の顔を覗きこんでいることに気づく


不思議なことに、あれほどの痛みや苦しみも、今はない


そうか、死ぬということは痛みも苦しみもない世界なのか

こんなに穏やかな気持ちに包まれたのはいつぶりだろう

皮肉にも死を迎えることで助けられた


母や娘に、今は安楽なのだと伝えたいが、言葉が出ない

口を開こうとしても動かない

何んとして伝えて安心させたい

渾身の力を込め、笑顔を見せようとした途端、手術室に戻った


心肺再開、バイタルを読み上げるスタッフの声が聞こえた

術中の心肺停止、蘇生は事実だったが、父の体験は立証できない


しかし死はすべての苦しみから解放されるであろうこと、

現世との繋がりは断たれることがないこと、

そして私も同じ場所へたどり着くのだと、

父は教えてくれたのだと思う


だから、必要以上に死を恐れたり、絶望するな永遠の別れではなく、互いに寄り道をしながらも、また逢える


私はまた夫に逢える

夫との繋がりは断たれない

ゆっくり来い、と夫は言っていることだろう


そう解釈するようになったのはまだ最近で、

そう考えようと努めている最中かも知れない


きっと私の元にも、皆さんの周りにも、心配しつつ見守る大切な人が来てくれているのだろう