息子は幼い頃から朝が早く、食事もさっさと食べる子でした。出発までまだあと1時間もあるけど何しようかな、と本人も困るほどに時間が有り余るので、小学校に上がってからも、集合時間よりかなり早く家を出ています。
そうして畑の虫や川の魚を見ながら私と共に集合場所まで行くのですが、その途中で見つけたのがこの「スッポンの赤ちゃん」です。
見つけた瞬間、息子の目の色が変わったのが分かりました。「網を取ってくるからお母さんは見張っていて!」という息子に、ランドセルは置いていけばと私が声をかける隙も無く、息子は網のある自宅へ駆け戻っていきました。
重いランドセルと、1Lのお茶の入った水筒と、魚釣り用の網を持つ息子は全力疾走しすぎて息が上がり、肩も上下していたので、呼吸の落ち着いている私が代わりに、スッポンの赤ちゃんを取ってやりました。
野生のスッポンを飼うにあたり難しいのが「餌」です。スッポンというのは大変臆病な生き物で、警戒心が強いせいか、人間が与えた餌をそうそう食べてくれません。捕まえて数日経ちやっと初めて食べてくれたのが、近所の川で捕まえた1cm長くらいのエビでした。
やっと食べてくれたことが嬉しくて、しばらくの間せっせと生きたエビばかりをやっていたら、贅沢なことにこのスッポン、生きたエビ以外のものを食べなくなってしまいました。本来なら食べるはずの市販の乾燥餌をまったく食べないのです。
毎日生きエビをやるのは手間がかかるので市販品にも頼りたく、しかしそれができない為に仕方なくこの夏中、私と子は生きエビを捕まえ続け、それをスッポンにやり続けたところ、もう後戻りできないレベルで、食にうるさい非常にワガママなスッポンが出来上がってしまいました。
贅沢というのは習慣です。
鯛は食べないけど毎日生きたエビを食べるように、バーキンは買わないけど毎昼スタバでラテを飲んでいたら、その「スタバ習慣」こそが贅沢なのですが、毎日習慣的に当然にやっていることに対しては、自分が贅沢しているとなかなか自己認識できません。
本当の贅沢は「買うかどうかも分からないバーキン」ではなく、「毎日のスタバ」のような日々の小さな習慣の中にあります。大きな買い物をひとつ我慢するのも良いですが、生活の中の無意識の贅沢というものを、私はできるだけ排除してお金を貯めたいと思っています。
我が家のスッポンの習慣である「生きエビ」、これはスッポンにとっては間違いなく贅沢品ですが、我が家にとっては手間さえかければタダで手に入る「節約志向の餌」ということになります。
スッポン視点で考えてはいけない、考えるべきはあくまで自分視点。私から見ればダイソーより安い、0円の生きエビ。これも習慣、すべては習慣だと己に言い聞かせ、今日もまた生きエビを捕まえに、子と共に川へ向かいます。
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