こんにちは
長いお盆休みが終わって
駿平は昨日から、
旦那さまは今朝から、
私は今日の午後から仕事再開です
横浜にベイスターズ戦に行って凌太にも会ってきて、
それだけでも夏の良い思い出でしたが、
8/13.14とお墓参りに岩手に行ってきました
姑が亡くなって、
一昨年が新盆、
去年も新盆第二弾?で
なんと2年かけて新盆の行事を行った我が家
今年はゆっくりできると思っていたのに
「仏さんを連れに行かないと」
と旦那さまが言い出して
つまり我が家に仏壇があるので
盆の入りにお墓参りに行かないといけないと言い出します
結局毎年じゃん!!!
田舎の人なので、というのもあるし
生前姑がそういうことにすごく熱心で
お盆になると全力でそういうことをやる人でした。
さらに
〇〇家は代々盆の棚は長男が作らないといけない。
できないのなら自分で次男にお願いすること。
というルールのある家だったので
旦那さまはまじめにそれを守り、
全国転勤だったので当然帰れない年もあるわけで
その時は義弟にお願いしたりして
(義弟が実家に住んでいたけどそれでもお願いしないとならない)
そんなのもあって兄弟そろってそういうことには相変わらず熱心なんですよね。
まぁ昔からのそういう習慣もあるので
今さら私が
「二年間新盆で大変だったんだし今年はやめよう」
とか
「横浜にも行って疲れてるからやめよう」
とかも言えず
で、岩手って隣の県ですが
旦那さまりの実家は青森に近いので
お墓参りとなると岩手縦断です
ちなみに岩手県て四国より大きいんですよ
しかも縦に長い
そんなわけで日帰りはきついということで
お泊りすることに。
まずは行きのサービスエリアで食べたお昼ごはん。
岩手の地鶏を使った親子丼でなかなかおいしかったです。
駿平も親子丼、旦那さまは盛岡冷麺をチョイス
話を戻して。
お盆のこの時期なのでホテルはどこも割高
いろいろ検索したら
盛岡の街中のホテル、
しかも老舗のホテルの別館なんだけど
そこが一人7000円台と破格に安かったので
そこに泊まることに。
(とっても古いホテルでやすいのも納得)
ちなみに去年?一昨年?
新盆のあと盛岡に泊まって
義弟夫婦と飲んだら
義弟嫁ちゃんの酒癖が悪すぎてほんと大変だったので
(あんなにお酒に飲まれちゃう人他に知りません)
さすがにしばらくは一緒に飲みたくないな と思って
盛岡には泊まったけど家族三人で飲みに行くことに。
といっても駿平はノンアルですけどね
料理これしか撮ってませんでした
そしてせっかく盛岡に行くのなら ということで
駿平が小5で仙台に来る前、
つまり小学校1年生から4年生まで過ごした支援級の
担任の先生が盛岡に住んでいるので
連絡してみたら
「是非会いたいです」
と言っていただいたので会えることに
夜でも良かったのですが
久しぶりすぎて
いきなりお酒入るのもなー、
先生飲めなかったら悪いしなー、とか思って。
あと、駿平の調子が悪かったら
食べたらとっとと帰れるお昼が安全かなー、とか考えて
2日目のお昼に会うことになったんです
お店は車で行けるところ、とお願いしたら
居酒屋がやってる個室でランチできるお店を
先生が指定してくれました
まずは駐車場でご対面
駿平も
「N子先生だよ、覚えてる?」
と聞くと照れくさそうに目をそらしたと思えば
チラッと見て指さしたりしてたので
ちゃんとわかったようです
今29歳の駿平が
小学4年生、つまり10歳の時までお世話になったので
約20年ぶりの再会です
先生もとても喜んでくださり
「大人になった駿平くんに会えてうれしい」
と何度も言ってくれました
そして先生から
「終活に入ったので
これ、よかったら受け取って」
といわれて一冊のファイルを頂きました。
そこには駿平の通信簿やら
当時授業で使ったプリントとか
写真とか色々入っていてびっくり
駿平の筆跡とか今と同じで
私の知らない時代の駿平の記録に
私が知ってる駿平がいると思うととても不思議な感覚でしたが
何かが繋がるような安心感がありました
それから嬉しかったのが
5年生になる時仙台に来て
そこから支援学校だったわけですが
その支援学校の卒業式に送ってくれた祝電まではいっていたこと
確かに卒業式に体育館の壁に貼られていたのを読んだのですが
あの頃はもうその日その日を無事終えることでいっぱいいっぱいで
嬉しかったという気持ち以外まるで覚えていなくて
頂いた祝電も手元にいただけたのかさえ忘れてしまいました
そしてちゃんとお礼言えてたかな?
当時はもちろんLINEとかもないし
お礼の手紙やはがきを書いた記憶はなくて
次の年賀状でお礼を言わないと・・・とか思っていて
3月にそう思っていても12月に年賀状を書くころには
忘れてしまっていたような気がします
あとは姑に「いただいたんです」と報告しておしまいにしていたか?
姑が育てていたわけで
あの頃は何をするにも姑を通して、というのがありました。
ちなみに何故先生が持っているのかというと
当時教え子の卒業式には祝電を自分あてにも必ず送っていたとのこと。
すごいですよね
ちなみに支援級の担任は駿平が初めてだったとは聞いていたので
「嫌じゃありませんでした?」
と今回聞いたら
「嫌ではなかったですよーー!!
でも十数年間の自分のやってきたことが
まったく通用しなくて色々戸惑いました」
とのこと
うんうん、わかるーーー
それから
「るるさんがお嫁さんに来てくれて
姑さんが
『とってもいい人を見つけてきてくれた。
旦那さまを育てていて よくやった、と思ったのはこれが初めて』
って言っていましたよ」
なんてことも教えてくれました
えーーー、姑、先生の前でそんな風に評価してくれてたの?
すごく感動した半面、
そんなによく思ってくれてたにしてはあの仕打ち!!
とかやられたことを思いだしてモヤッとしたり。
我ながらひねくれてるとは思いますが
本当に色々やられて
なんだろうなぁ・・・
素直に喜べませんでした
ほんとに色々やられて、
よくもまぁここまで人を陥れるよな というの?
たとえば12月に実家に行くと
硯に墨汁を入れて
年賀状のあて名書きをしろと私に言います
(せめて筆ペンにしてー)
そしてさんざんあて名書きさせられて
「るるちゃんのご実家にはるるちゃんの字で書くわけにはいかないから
自分で書くからね」
と言っててうちの実家に年賀状寄こさない なんてこと
2年連続とかでやられました。
当時父に
「姑さんから年賀状来ないけど」
とはっきり聞かれたりもして
そう、うちの両親は出しているのに
返事すら出さない形。
私の顔をつぶしてくれてましたね。
そんなにいい人をもらった という思いがあるのに
なんで礼儀である年賀状をうちの親に出さないかな?
なんてそんなことまで思い出してしまいました
まぁでも先生の前で悪口吹き込まれるよりもずっと良いから
とりあえず感謝しておこうかな。はははっ。
ランチもおいしかったです
駿平と先生のツーショット
先生には駿平の施設の製品をあげたらとても喜んでくださって
早速帰宅して寝室の窓のところに製品を飾りましたと
画像を送ってくれました
とても楽しい再会でした
それは感動の再会だったねと思ってくれらぽちっとな~