母の死から通夜までの話➁ | るんるん♪るるのDIARY

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~自閉症の20代の次男との毎日を綴っています~

話がなかなか進まずすみません。

 

 

それで、母の姉には

とにかくお金がまるでない家だと思われていたようで、

何もかも最低賃金のものにされていました。

 

さらに

 

 

家族葬の時は

弔電は受け付けない、花も受け付けないのが鉄則

 

 

と母の姉が主張したそうで、

それらも全部却下。

 

 

そしてうちの親も姉も葬儀屋さんの積み立てとかやってなかったそうで

(私は仙台でちゃんと積み立てしていますよ)

その母の姉の積み立てた60万円を使わせてもらって

あれこれ割引きとかサービスとかしてもらったそうで

誰も頭が上がらなかったようです。

 

 

それでも

 

 

白装束は浴衣の上に置くだけ

 

 

と母の姉が決めたところを

 

 

「それだけはせめてちゃんと白装束を着させてあげてください!!」

 

と姉が主張しておいてくれたので

ちゃんと着せ替えてもらうことになっていたそうですが、

他のプランは本当に最低賃金のものに決められていたようです。

 

 

 

ちなみに亡くなったのが6/11(火)で、

通夜は6/13(木)、葬儀は6/14(金)。

 

 

つまり6/12(水)は一日空いていたので

その日にもう一度葬儀屋さんに来てもらって

もう少し豪華にしてもらうことにしました。

 

 

一日空いたことで変更ができて

ホント、良かったです。

 

 

母の姉には私から電話をして

 

 

「皆には言っていなかったけど

実は母が残してくれた現金がそこそこあるので

もう少しグレードUPしたいと思っています。

母は自分の葬儀用ではなく、

私たちにお金を残してくれたのでしょうが、

私たちは遺産なんかいらないので

最期くらいそこそこ華やかに送り出してあげたくて」

 

と説明をしました。

 

 

 

母の姉は母から直接

 

「家族葬でやりたい」

 

と生前聞いていたそうで、

 

「だから家族葬で、とにかく質素で、と推したけど、

そんなお金を残していたのはしらなかったし、

あんたたちがいいなら、あんたたちが無理のない範囲で

やっていいよ」

 

と言ってくれました。

 

 

もちろん

 

 

「おばちゃんのおかけで割引も沢山ついたし

その分ちょっと贅沢させてもらうね」

 

 

と母の姉をヨイショしながらね(;´▽`A‘‘

 

 

 

で、まず、母は花がとても好きだったので、

花を出してくれる人がいれば受け付けたい、と思い、

葬儀屋さんに確認したら

家族葬でも花を出してOKだと言います。

 

 

ということで

せっかく父の妹が花を出したい、と言ってくれているので

お願いすることにして、

花は1つ16,200円だというので

旦那様と義兄もそれぞれの名で一人1本ずつ出すことに。

 

 

そうこうしているうちに母側のいとこ一同とか

母のきょうだい一同(母の姉含む)でも出してくれることに。

 

 

 

それから葬儀場から火葬場までの車は

黒いワゴン となっていたので

それも速攻 霊柩車 に変更!!

 

 

15000円くらいのUPで済んだし、

最期くらいちゃんとした霊柩車で送ってあげたいからね。

 

 

 

で、黒いワゴンだと位牌を持つ父と

骨壺を持つ義兄の2名しか乗れなかったけど

霊柩車なら写真を持つ姉と

御膳を持つ私も乗れることに☆

 

(※これは地域によって色々ですよね。

東北では葬儀の前に火葬なので御膳はないと聞きます)

 

 

それから来てくださった方には はがきのみ渡す のところ、

お茶もつけることにしました。

 

 

 

家族葬なので香典はお断りすべきですが、

弔問に来てくださるみなさんがどうしても、と香典を置いて行かれます。

 

 

 

断っても

 

「これはあなたにではなく○○ちゃん(母)にあげるんだから」

 

と枕元に無理矢理置いて行かれます。

 

 

ということで

とにかくお茶のお返しだけはすることに。

 

 

四十九日が終わったら

母の戒名なども入れたはがきとともに

またそれなりのものをお返しする予定ですが

とりあえずお茶だけは先にお渡しすることに。

 

 

 

それから家族葬では家族以外の方のお焼香とかは受け付けない、

ということでしたが、

近所の方から

 

 

「私たちどうしてもお母さんにお線香くらい上げさせてほしいの。

前に○○さんの奥さんが亡くなったから

通夜に行ったら『家族以外ダメ』って言われて

門前払いされてすごい悲しかったの。

だからそれだけはお願い」

 

 

と言われ、それも葬儀屋さんに相談したら

 

 

「18時から通夜が始まるので

その前ならいいですよ」

 

と言われ、みなさんにその旨伝えました。

 

 

 

 

 

 

そして通夜当日。

 

 

 

 

まず、12時に「中送り」と言って

自宅から母が出て行きます。

 

 

すると11時半くらいから

わが家の前に沢山人が集まってきました。

 

 

 

 

ちなみに通夜と葬儀の日は暑いくらいの快晴で、

その前後は土砂降りの雨だったんですよね。

 

 

 

暑い中、皆さんずっと立って待っていてくださったんです。

 

 

 

後で姉が言うには

 

 

「中送りは12時ですが、

早く行くこともありますので

11時半くらいにはお集まりください」

 

 

と皆さんに伝えたそうで\(◎o◎)/!

 

 

いや、早まることはないから、そういうのは!!!

 

 

 

念のため といたずらに早く集まらせるとか

やっぱり姉はどこまでも姉でした( ̄□ ̄;)

 

 

 

 

 

まぁでも中送りは辛かったですね・・・・。

 

 

50数年前にこの家にお嫁に来た母が

 出ていく んだなぁ、と

しみじみ考えてしまいました。

 

 

私も沢山迷惑かけたし、

多分沢山泣かせたし。(バツイチ子持ちの旦那様と結婚する時とかは特に。)

 

 

 

中送りは地域や宗派によって色々でしょう。

 

 

実は私の祖母の時は

自宅で中送りの時にはもう化粧とかしてきれいになっていて

棺に入っての中送りでしたが、

母はまだ化粧もしていないし、

布団ごとベルトで固定して担架で運ぶ、という形でした。

 

 

その時も 男性のチカラ ということで

旦那様と凌太が大活躍!!

 

 

来てもらっていて本当に良かったです。

 

 

 

 

そして外に出たらざっと数えて40人近いご近所の皆さんが集まってくれていました。

 

 

姉のせいで30分ほど待ちぼうけの皆さんです(;'∀')

 

 

 

それが本当に嬉しくて、感動して、

皆さんすごい泣いてくださっていたので

私もそれでまた泣いてしまいました。

 

 

 

そして母が黒い車に乗せられて行く時は

ホワーーーン と音を鳴らしてもらって去って行きました。

 

 

この 音 も今はご近所の手前、

「鳴らさないで」と言われるご遺族も多いようで

事前に葬儀屋さんに確認されましたが、

ご近所さんも皆さん母の死を惜しんでくださっているのはわかっていたので

「鳴らしてください」とお願いしていました。

 

 

 

鳴らしてもらってよかったです。

 

 

 

皆さん、母の為に泣いてくださって本当に嬉しかったです。

 

 

2軒隣の方はもう96歳とかで

家の外にはなかなか出れないところ、

たまたま大宮から来ていた息子さんが

中送りの時間に車いすに乗せて外まで出してくれたそうで

(息子さんはお線香をあげにきてくれました)

 

「寂しいね 寂しいね」

 

と泣いてくれていました。

 

 

2年前、病気になるまでは

ゴミ出しとか買い物とか

その方のお世話をしてあげていた母でしたが

そんな母の方が先に逝ってしまいました。

 

 

 

 

亡くなってから通夜までの間、

ご近所の方が本当に次々と来て下さり、

その中でとある方に、

 

「前の週の土日も顔見に帰ってこようと思っていたのに

母に 大丈夫だから と言われてそれを鵜呑みにして

正直1泊2日はハードで面倒臭いという気持ちもあって、

それで帰ってこなかったことを悔いている。

前の日も父に かえってきて と言われたのに帰って来れなくて

今週末は帰れるよう整えていたのに

その前にこんなことになってしまって・・・」

 

 

という話をしたら、

その方はこう言いました。

 

 

 

「どんなに尽くしても

後いは必ず残るから。

でもあなたのそういう思いとか

大丈夫、全部お母さんはわかってくれているから。」

 

 

 

 

もうね、号泣しました。

 

 

 

 

旦那様にも

前の土日に行かなかったことを悔いている、と伝えたら

 

 

「でも土日で慌てて帰って

月曜日は仕事だから、と弱ってるお母さん置いて

帰ってきて、その2日後亡くなった、となると

そっちの方が後悔したと思うよ」

 

と言われ、

確かにそうかも!と思うようになりました。

 

 

 

 

すべて母が仕向けてくれたのかなぁ・・・。

 

 

 

父に呼ばれたけど行かなかった亡くなる前日のことも

もちろん悔いは残っているけど

でもあそこで帰っていたら

私は喪服とかも取りに帰れず

大変だっただろうし。

 

 

全部わかっててあの日を選んでくれたのかなぁ。

 

 

 

 

 

そう思わずにはいられません。

 

 

 

 

 

長くなってきたので今日はこの辺で!!