まず、夕べ無事岩手から帰ってきました
でもまぁ静岡最終日の記事から書いていきます
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最終日は箱根へ。
私の実家からに箱根って近いんですよ。
1時間もかからず着いちゃうんです
ただし空いていれば の話
渋滞しちゃうとにっちもさっちもいかなくちゃっちゃう
ってなわけで、普段放っておくとお昼まで寝ている旦那様と凌太にも少々?早起きしてもらって
8時に出発
霧がすごくてはっきり見えず残念だったけど
芦ノ湖
に到着
元嫁時代、旦那様も凌太も静岡に住んでいたけれど、
実は箱根って行ったことないんですって
それは結婚前、親に隠れてつき合っている頃に旦那様が言っていて、
その頃一度二人でドライブしたんだけど
その時はすごい込んでいて、どこも見ずに終わったので
実は旦那様は密かに リベンジ ザ 箱根(笑)
凌太はまさに 初めての箱根 でした
ちなみにこのあたり、箱根駅伝
のゴール地点なんです
うちの父も箱根駅伝が大好きで
毎年1月2日と3日は絶対箱根駅伝を観る人。
そして旦那様も同じく箱根駅伝大好きっ子で
毎年1月2日と3日は絶対箱根駅伝を観る人。
そんな共通点も「縁」を感じた1つでした
さてさて、その後は大沸谷
へ
頂上は朝からすごい人・人・人っ
食べると7年寿命が延びると言われる黒たまご を
母が
「駿平君や岩手のお義母さんにも」
と言って、もう一袋お土産用にも買ってくれました
気に掛けてくれてありがたい
・・・と、旦那様もちゃんと感謝してくれてたらいいけど~
下山~
その後は車であちこち、箱根駅伝のルートをたどりながら帰ってきました
早く出発したせいか、大した渋滞に巻き込まれることなく、
午前中には箱根を後にしました
お昼ご飯は地元に戻って焼き肉
箱根がどれくらいかかるかわからなかったので
切符は取っていなくて、
結局16時台の新幹線で帰りました~
母がとても駿平のことを気に掛けてくれて
「再来年は当番長だから駿平君はお祭りに御神輿担ぎに来るといいよ」
なんてことまで言ってくれて。
まあね、今我が家のあたりも若い人がいなくて
6年に一度の『当番長』の時に
御輿を担いだり山車を引っ張ったりする人がいないみたいで、
役員とかやってる母にしたら人集めに必死で、
背に腹は代えられない、とかあるのかもしれないけど
それでも血の繋がらない孫、しかも障がいを持つ子を
「うちの孫です」
って公の場に出そう、と思ってくれるだけでも本当にありがたいと思って。
私も結婚する時は 相手がバツイチ はまぁ言っていたけど
継子のことまで言っていなかったというか、その辺はぼやかしていて、
ましてや駿平の障がいの話なんてもっとしてなかったんだけど、
何かもう誰に聞かれても見られても全然おっけー、というか
公表するいい機会かな、なんて思ったりもして。
いちいち言って回るのも面倒だから
そういう場で見てもらってわかってもらえたらいいのかも、なんてね。
ただ、駿平はお祭りのどんちゃんした音は多分ものすごく苦手なので
(しゃぎり といって、鐘を鳴らしながら練り歩くので、やたら音がうるさい祭りなんです)
まぁ本当にやらせるかどうかはまた考えるとして。
それから母も父も
「凌ちゃん凌ちゃん」
と凌太のことすごくかわいがってくれて
「本当にいい子だね」
も凌太のいないところで3回くらい言ってくれたりしました
凌太は私と旦那様は行かないのに
父と二人で平気で荷物を出しに行ってくれたりとかもしたから
やっぱりかわいく思えるんだろうな
バツイチ子持ちの旦那様と結婚したい、と言い出して
母はとても苦しんで悩んで悲しんで。
しかも 静岡から青森に嫁ぐ というんだから
そりゃ心配だし寂しいし・・・だよね。
きっと身を割かれるような思いもしてきたんだと思う。
それでも
「るるが好きなら仕方ない」
とあきらめて送り出してくれたので
私もそんな母には絶対心配かけたくなくて
泣き言だけは言わないように、と頑張ってきた9年だったっけ。
姑にいじわるされまくっても
「とてもよくしてくださってる」
とずっと言ってきた。
でもいつからか、
「今だから言うけどさぁー」
と、姑への愚痴はおもしろおかしく母に語っているけどね
こうして凌太と二人で実家に遊びに来れること。
旦那様とも仲良くやっている姿を見せられること。
私が選んできた道が正しかった、と
そしてそうやって私に好きな道を歩かせてくれた自分達の選択が
間違っていなかった、と両親に思ってもらえたら嬉しいな
そんなわけでなかなか充実した帰省となりました
凌太も楽しかったそうで何より
そして仙台に一旦戻ってから15日~17日は岩手の旦那様の実家へ
その話はまた次回
楽しい帰省になってよかったね!と思ってくれたらぽちっとな~