卒業式の思い出・・・。 | るんるん♪るるのDIARY

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~自閉症の20代の次男との毎日を綴っています~

3/11は駿平の卒業式です。




その前に父の誕生日と私の誕生日があるわ笑




・・・ってどうでもいいけどべーっだ!







「卒業式といえば毎回張り切って出ています。」





・・・・と言いたいトコだけど



実は違うんですね~がびょーん






一緒に暮らしてから

駿平の小学校卒業式、

凌太の中学校卒業式は出ましたよ、張り切って。



でも結婚して最初の卒業式である、

凌太の小学校卒業式には

実は私、出ていません爆弾




実は私には12歳年下のアメリカ在住の従姉妹がいます。


純日本人ですが、生まれも育ちもアメリカの従姉妹。

小学校の頃からホームステイだなんだといっては

日本にはちょくちょく来ていたから会う機会は案外多くて。


で、大学も交換留学とかってことで

日本の大学にも在学していたこととかあって、

その時も東京で2人で会ったりとかして、

そこで


「彼と結婚する予定なんだ」



なんて聞いていたんです。




で、間もなく本当に



「結婚するので来てください」


といった招待状も来て。



後から聞いたら、私に話してくれた時は

まだ親にも話していない時だったみたいべーっだ!



そんなのもちょっと心くすぐられたのだけど音譜





かねてから



「日本人だから結婚式では着物を着たい」


と言っていた従姉妹。




私は着付けの免状を持っているので



「その時は私が着せてあげるね。」



って約束もしていました。





で、



「3月○日に結婚式だけどるるも行ける?

凌太の卒業式と被らない?」



と実家の母に打診されて。




結婚式に呼ばれたのが嬉しくて嬉しくて

あまりよく考えず、調べもせず、

多分被らないだろう、と思って



「大丈夫」



と返事して。



それからアメリカに行く飛行機のチケット予約したりとかして

親戚一同で盛り上がって。

普段連絡なんか取っていない叔父からも連絡が来たりして

私の心はもうアメリカ一直線!!




・・・・・って時に、


卒業式と思いっきり被っていることが判明叫び




っていうか、そんな時にようやく知るなんて、


すてっちの卒業式にどれだけ関心なかったの?


って感じだよねーガーン





でも今更


「卒業式と被っていたから私は行けなくなりました」


とは言えない状況あせる


着付けも私がいるからOKビックリマークということで

従姉妹側も色々準備を進めていたみたいだし。


母にすら言い出しにくくて。


っていうか、アメリカに行くのを楽しみにしているのはこの私だから

そんなこと言いたくもない。


だって母と海外旅行なんて

今後行けるチャンス、ないかもしれない。





というより、そもそも継子の卒業式なんて憂鬱なだけでダウン



一緒に暮らしていないからなおのこと、

実感も沸かないし感動もないし、

それより他の保護者との絡みがほとんどないから

会場で孤独になりそうだわー、とか考えるとそれも憂鬱で。


もちろん式は旦那様も一緒だけど。

でも何かママさん達の輪に入れない自分を想像するとみじめだし、

とにかくもともとあんまり行きたくはなくて。




で、ダメもとで旦那様に打診してみました。




「ごめん。アメリカの従姉妹の結婚式と被っちゃった。

着付けもしてあげる約束もしちゃったし、

っていうか私自身もしてあげたくて。

私、凌太の卒業式行かなくてもいいかな?」



と。




旦那様、一瞬言葉を飲み込んで、気持ちを静めてこう答えました。



「・・・うん、いいよ。」



でもまるで抑揚のない声で。


多分すごく気持ちを押さえて

ようやく絞り出した言葉なんだろうな~、とあせる




でも


私の気持ちを尊重してくれたドキドキ




あの時


「そんなのダメに決まっているだろうむかっ



なんて言われていたら、私、ブチ切れていたかもしれませんあせる



あのころはホント、ステッち達や姑・義弟への不満で爆発しそうだったから。





姑には話の流れで自分から言いましたガーン



ちゃんと改めて自分から言わなきゃならなかったのかもしれないけど、

でもまぁ何かというと「親の責任」をすぐに押しつけられ、

ことあるごとに丸投げされてきたのだから、

そこまで姑を立てる必要もないわ~、なんて思いもあって。



で、話の流れで話したので、

もちろん黙りこんだけど、

もうその時点では「決定事項」だったから

あえて何も言わず、言わせず笑



後から旦那様に文句たらたら言ってただろうけど

旦那様も私には絶対そんなこと言ってこなかったしねべーっだ!



で、旦那様も一回OKを出した以上、

気持ちを吹っ切ってくれて、

気持ちよくアメリカに送り出してくれました飛行機





後から知ったけど、卒業式の後、ホテルで謝恩会もやったみたいであせる



もちろん旦那様が出席しましたが

それこそ周りは知らないママさんばかりで

かなり居づらかったみたいべーっだ!




それ聞いたら申し訳ないけど


「行かなくて良かったわ」


と心底ホッとしてしまいましたかお




私が卒業式に行ってたら、

当たり前のように私が謝恩会に行かされていたと思うし

そんなとこ行ったらそれこそ孤独でみじめだわ。




結局卒業式も、


保護者は何人参列してもいい。


という話だったらしくて

姑と義弟も正装して張り切って参列していたらしいし、

私なんか行かなくても別に良かったわー、なんて思ったのだけど

凌太には後から


スティッチ2「俺はお母さんにも来て欲しかった。

みんなに来て欲しかったんだ。」


と言われてしまいましたガーン



子供(凌太)の心を傷つけてしまったのは確かだし

確かにアメリカ行きを選んだことは

母親としてはやはりよくなかったと思っています。



でもあの時アメリカに行かなかったら

それはそれで


「継子の犠牲になった」


なんて思って、未だにグチグチ言っていたかも、と思うので

正しくはない行動だとしても

やっぱり行って正解だと思っています音譜




母だけでなく、他のいとこや叔父達と一緒にアメリカに行けたのもいい思い出だし、

何より結婚した従姉妹には「着物を着て結婚する」という夢を

叶えてあげられたしドキドキ


従姉妹の両親にもすごく喜んでもらえて


「子供の卒業式と重なっているというのに来てくれて、

そして快く送り出してくれたご主人にも感謝!


なんて言ってもらえたしニコニコ





今の凌太は、小学校の卒業式に私がいなかったことすら

もしかしたら覚えていない、というか

思い出したりもしないのかも?なんて感じで。



まぁその後、その時の反省もあって

彼の中学校生活では保護者として積極的に学校行事には

関わってあげたからよしとしてもらおう、なんて思っていますべーっだ!




人生って繰り返すことはないけど

やり直しはいくらでもできるものね音譜



卒業式出てあげられなかったから

その分中学校生活は頑張ろう、と思えたし

それはそれで良かったかな、なんて

自分を弁護するようだけど、まぁホント、

やっぱりあの時はアメリカに行って良かったですにひひ




同じように、昨日機嫌が悪くてステッちに意地悪してしまったら

今日は反省してちょっと優しくなったりとか。


結構日々そんな感じです。




いつもいつも完璧な選択なんてできないよねにひひ




間違った道を選んだら、次、その分どこかで挽回したらいい、

なんて思っています。








卒業式出なかったとはやるなぁ、と思ってくれたらぽちっとな~グッド!


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