引き続き 駿平ネタ
うちの駿平はいわゆる重度の自閉症児です。
療育手帳は当然A判定(軽度はB)だし
IQは20しかないし。
計算は小さい数ならできるけど、
それも紙の上で1つ1つ数えながら。
「1+3は?」
と聞いても計算できない。
1+3 と用紙に書かれているのを見て、
○ ○○○
と○をそれぞれ書いてみる。
そしてその○を
「1.2.3.4」
と数えてみて初めて答えが4とわかる。
○の数が10個くらいになると途中から集中力が切れて
間違えたりする
数くらいは瞬時に数えられたらいいと思うんだけど
残念ながらまだまだそこまでの能力はないみたい。
これでも数えられるようになっただけかなりの進歩だし
そんな駿平だけど、駿平よりも能力の高い障がい児君たちより
出来ることも結構あったりする。
まず お手伝い。
すごく得意。
朝起きると外ポストまで新聞を取りに行って、
学校に行きながらゴミ捨ても黙ってやってくれる。
夕方になると洗濯物を取り込んでくれるし
ついでに家中のカーテンも締めてくれる。
夕飯の時はお箸を並べて配膳もやってくれるし、
自分のお皿は全部洗って拭いて所定の位置に戻してくれる。
昔担任の先生に
「駿平君は甘やかさずに育てられたので
良い子だしとても可愛いです。
障がい児ということで甘やかされて
家の中で王様になっている子は
やっぱり学校でもわがままでかわいくないんです。」
なんて言われたことがある。
嬉しかったなぁ
思えば駿平の人生って、障がい児なのに波瀾万丈。
幼稚園の年中さんの時にママが出ていって
翌朝には岩手のおばあちゃんが迎えに来て
そのまま岩手でおばあちゃんとおじちゃんとお兄ちゃんとで5年間暮らした。
新幹線に乗り込むと、最初は楽しそうだったのに
大宮あたりで急に泣き出し、
その泣き声も尋常でない大きさで、
何をしても泣きやむことはなく、
結局おばあちゃんはデッキに立って駿平をだっこして
岩手まで連れ去った・・・いや、連れて行ったと聞いている。
姑も
「とんだ子を任されたもんだっ」
って思っただろうなー
義弟も
「何で障がい児なんか押しつけるんだよって最初は思った。」
なんて以前ぽろっと言っていたけど
そんな2人は今では駿平にゾッコン
駿平に会いたくて会いたくて。
・・・・・凌太はどうでもいいらしい
一番大変な時期から
私に手渡すまでの大事な時期を
2人が育ててくれたわけだしね。
何かその気持ちもよくわかる気がする。
そんな駿平、新しいお母さん(私)ができたものの、
最初は別居生活で。
月に一度くらい、凌太と駿平を車で迎えに行って
私と旦那様の家に泊まらせていたのだけど、
これがもうホント、大変で
食べ物だって好き嫌いが多くて、
凌太に聞きながら、何が食べられるのか確認したけど、
凌太だって子供だし、実はよくわかっていない。
で、出したものが嫌いなものだったり
食べたことがないものだったりすると、箸すら持たない駿平。
これに関しては同居開始当初もあったんだけど、
ネットで同じような話を見た時に書いてあったのが
「食べないなら食べさせなくていい。
人間1食や2食抜いても死なないから平気。
それより出されたモノしか食べ物がないとわかれば
それを食べるようになって、好き嫌いを克服できる」
なんて話。
ええ、ええ、意地悪な継母は躊躇なくそれを実行しましたよ
はい、駿平くん、今食べれないものは1つもありません
どちらかというと凌太の方が多いのかな
たとえばコーンがダメ。
おかずには出さないし、お弁当の冷食のパスタに入っているのは
私がお箸で取り除いて入れるようにしている
甘やかしてますねー
コーンなんてアレルギーなわけないのですが
ただ、取り除かないと結局お弁当箱に残して帰ってくるので、
それが腐って異臭を放つようになるよりは
最初から取り除こうかな、と
文句言われるのも面倒だし。
でも駿平は文句言わない(言えない)し
食事も面倒だったけど、一番イヤだったのが寝ているとき。
自閉症の駿平は、環境の変化が大の苦手。
たまに私と旦那様の家に泊まりに来たって
そりゃ布団も枕も横で寝ている人間も違うんだから
眠れるわけがない。
布団の中でもそもそするだけならいいのだけど、
夜中に起きて、みんなの枕元をグルグル回ったり
岩手に来たばかりの頃、朝方家を抜け出して
近所の家に無断侵入して冷蔵庫の中を漁っていた、
なんて事件もぶちかましてくれていたらしいので
私は家を飛び出さないか、もう冷や冷や
っていうか頭のとこでグルグル走り回られたら
それだけで眠れない。
この子と暮らしたら、ずっと夜中も気を付けて起きてなくちゃいけないのか
と思うと
私はいつ寝たらいいんだ?
ってすごく不安になったっけ
でもそうやってたまに「他人の家」に泊まった経験は
後々の駿平の人生にものすごく役だった気がする。
ちなみに何度か泊まっていくうちに
わりと慣れてくれて、そこそこには寝てくれるようにもなって。
で、学校行事の宿泊合宿なんかに参加しても
周りの子は寝れずに落ち着かない夜を過ごしている傍らで
駿平だけはグースカピーだったらしい
ショートステイで泊まりに行くのも大好きだしね
基本的に「お泊まり大好き」な子になってくれて
本当に助かっている
去年の4月、旦那様が単身赴任になって
私が入院した時も
人生会うのが2度目の私の母との暮らしが始まったけど
すぐに
「おばーちゃんおばーちゃん」
と懐いて、案外ひょうひょうと過ごしていたらしい。
これも彼の波瀾万丈だった人生を思えば
大したことのない小波だったのかもしれない。
突然ママが出ていって
次の日にパパともサヨナラして、
両親抜きで育った駿平。
新しいお母さんができても
そいつは時々しかやってこないし、
おばあちゃんとおじちゃんと一緒に生きていくしかないわけで。
そうこうしているうちに、時々しか来なかった母親と
自分をおばあちゃんに押しつけてバイバイしやがったお父さんと
今度は一緒に暮らすことになって。
お母さんは容赦なくすぐ怒るし
そんなお母さんもお手伝いをすると
「すごいねー、何でもできるねぇ」
と褒めてくれる。
これだ
って、多分気づいたんだろうな。
自分の生きる道 を・・・・。
先日3年に1度の発達支援センターでの面接の時にも
褒められるのが嬉しくてお手伝いをよくしてくれる話をしたら
「それは素晴らしい
ゆくゆくはそれが『働く喜び』に繋がっていきますよ」
と褒めて頂いた
能力があっても、働く意味が見出せず、
続かない子もいるのだそうで。
駿平も働きだしたらもしかしたら何かのキッカケで
意欲を失ったりするかもしれないけど
でも今のところは順調かな
本当に、
かわいい子には旅をさせよ
という言葉があるけれど、障がい児だって例外ではないと思う。
私はかわいくて旅をさせたのではなく
継母ならではの意地悪心もあって
ちょっと厳しく育ててしまったのだけど、
でもまぁ何かできたら必ずベタ褒めするようにして、
後は自分がラクできるようにお手伝いをホイホイやらせている。
もともとは駿平の為というより
私の為、なんだけど、
でも結果的に駿平の為にもなって良かったのかな、なんて思う。
障がい児の我が子がかわいかったら
離婚してばーちゃんに預けろ。
・・・とは言わないけど
でもたまにはジジババの家に兄弟だけで泊まりに行かせたりとか
普段からお手伝いできそうなことは探して
じゃんじゃんやらせた方がいいと絶対思う。
「この子にできるわけない」
なんて思いこまずに。
駿平も昔はお手伝いなんてできなかった。
4年生の時(まだ別居中)、夏休みの宿題に
「1日1つ何かお手伝いを」
と担任に言われて、暗い気持ちになったのを覚えている。
「何をさせたらいいのかわかりません。」
と言うと
「家族の靴を並べる、とかそんなことでいいんです」
と言われたので、試しにやらせてみたけど、
言ったら火がついたように怒りだして
パニックになって走り去られた
頼んでパニックになられてわーわーやられるくらいなら
最初から何も頼まないのがいい。
なんてあのときは思ってしまったけど。
でも違うよね。
緩やかでも、ちゃんと成長しているんだよ、障がい児も。
だからちゃんと日々成長を見守りながら
色々なことにチャレンジさせないと。
ホント、
かわいい障がい児には旅をさせよ。
駿平にはこの波瀾万丈な人生が
かえってよかったんだと思いたい。
あのままあの実ママの元で過ごしていたら
ビデオ漬けで何もできない、堕落した障がい児になっていたと思うしね。
駿平にせよ、凌太にせよ、
こんな波瀾万丈な人生だったけど
この道を生きられて良かった。
といつか人生を振り返った時、思ってもえたら嬉しい。
大人の都合で振り回された人生だったかもしれないけど
自分次第でいくらでもそれを“いいもの”に変えられるものね。
普通と違う人生でも
それが必ずしも不幸とは限らないと思うから。
そして不幸と思わせないように、その人生を
より良い方向に導けるよう、継母の私も頑張らなくちゃね。
話長かったけど何かわかったよ~、と思ってくれたらぽちっとな~

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