今の精神の回復過程で気づいたこと。

私の気持ち、感情に素直になること。

嬉しいも、悲しいも、楽しいも、嫌だと感じることも全部素直に感じること。

その上でどうすればいいか自分に適切な対応ができるか練習させられてる気がする。

一番は疲れたら休むという練習。まだできると思ってやりすぎるんだよな。なんでも一度でやりたい性分でこまる。完璧主義というか。最近は、あとでいいこともやってしまうからなあ。できない日が来たらと思うとやってしまうんだよな。別にしなくても大丈夫なこともあるのに。つまりは計画性がないのかもしれない。あとは、分割してやると苦しくないことを体に教えているのかもしれない。

10代からネガティブで心が健康だったことがあったのだろうかとここ数年思う。

だからどこからが自分の心の健康なのかわからない。生活でそんなに気にしなくなればそれが健康なのか。少しずつ頭もクリアになってきて、回復してるのは実感してるけどどこから健康といえるのだろうか。

心が健康だったことあったのだろうか。私はずっと心が風邪気味だったのかもしれない。

不安定な精神は天候と同じだと思うようにしてから、無駄な感情のコントロールはやめた。雨が降りそうなら傘をいつも用意すればいいから。

そうやってなんとか生きていたし、生きる上でいつも最優先していたのは心の安定だった。精神が病みやすいの重々知っていたのに、気をつけてたのに壊れたから、私一体自分のために何をしてたんだろうと燃え尽きたような気もした。


ただ私は自分のキャパを他人と同じようにしてたから、無理が生じてしたのだろう。もともと私は人と関わるとかなりのエネルギーを消耗するので容量が全然足りなかったのに、気をつけながらもなんとかやってしまってした。というかやれてしまっていた。それはいつか壊れるだろう。壊れそうだと知りながらも、十分な休息が休みの日では補えきれなかったみたいだ。


私は一般的な社会で通用するような人間じゃないとは知っている。私の能力を最大に発揮する場所はここじゃないと知っている。私がペンギンならずっと陸で生きていて、海を探しながら歩いているような気分だ。歩けるけど人よりかなり遅い。

そんなことを思いながらも働いてしまった。

だから、全部壊れた。


こうなったのは、コロナ禍も一つの原因だけど、私の場合は気軽に話せる人が周りにいなかったことと、気力だけでは乗り越えられなくなった年のせいもあるとは思う。長年のそういった蓄積がダムの崩壊みたいに全部溢れてしまった。自分を守ってたバリアが全部なくなって、柔いところが剥き出しになって、感情が抑制できなくなってしまった。


これまでは社会の基準を考えて次に進んでいたけど、今度は私基準で生きていく。謎の固定概念に支配されてたけど、本当の幸せを覚悟してから自分のしたいこと以外受け付けなくなっている。

本当にしたいことじゃないのに折り合いをつけて生きてしまっていたけど、生まれたからには好きなことしてこの世を全うしたい。


どうにか穏便に退職まで働けることを思ってたけど、魂レベルではここが本当の限界みたいでした。もう仕事に戻れないなと思っている。戻っても心的ダメージが酷そうだし、私を酷使することはしたくない。


金銭的にも追い詰められてるから何か答え出せるでしょう。人間追い詰められないと動けないのよね。私の人生いつもそんなんで行き当たりばったり。


今度はいつもと真逆の選択でいく。思考だけできめるのではなく、自分の望みを一番にして決めよう。そして、自分のこれからの人生を幸せ設定にして、心も体も物質的にも豊かに生きていく。

やっと集中力がある程度保てて、思考ができるのでなんとか今までの精神について書いてみる。

また同じように、もしなったときに、参考になればと。


まず今してる仕事はそんなにやりたい業務ではなかった。

引きこもりニートの時に思ったこと、それは誰かに必要とされたかった。早く働きたかったけど、就職難民になって、資格がないと就職できないと思って手早くできる仕事の一つに過ぎなかった。とりあえずやってやめようと思ってた。だから勤めてみたけど、特にやりがいを感じたことはなかった。職場は私にとっては働きやすい環境だったけど、忙しいのはずっと続いていた。

だから、思えば精神は綱渡りのような日々だった

ここ5年以上は明日仕事やめてもいいと思いながらしてた。

推しができて充足していたのも、愛情うめるためのストレス軽減の方法に過ぎなかったのかもしれない


仕事を続けることを心が拒否してるとわかりながら

ギリギリだと知りながらも

なぜか違う世界に行けなかった

自分に自信がなくて

歩き出す力さえなくて

休む勇気さえなくて


それでもいじけずに真面目に仕事をしてしまっていた

手を抜いているつもりでも、余裕持ってやっているつもりでも仕事の量を減らしても、仕事の質は変わらないからきっといつまでも辛かった。


さらに加えてコロナ禍になって、推しも変わってライブだけでは満たされなくなった。好きだけど熱烈に好きだというモチベーションはなくなっていた。情熱をもって何か誰かのファンであることをやりきったようにも思った。

私のしあわせを覚悟して生きるようになってから明らかにときめくものがずれていっている。まるっきり違うわけじゃないけど、違和感をもっている。


あと。大きいのは友達が近くにいなかったのは精神に悪過ぎた。気軽に話せるひとがいればかなり違ったと思う。1人が好きというわけではない。1人の時間が必要なだけ。精神を回復するための手段として。何者にもならないときが必要なだけ。


だとしても、遅かれ早かれ仕事やめるのには変わりなかったけど。


そういう何年もの蓄積が溜まってしまっていた。

怖いことや嫌なことがあったら、普段は1日くらいである程度復活できたのに、今回は全く違った。

あることがきっかけで、頑張ってきたことが無に思えてしまったら、パリンと心が壊れた。守っていたものが、作っていた自分が全部なくなってしまった。

一瞬にして転げ落ちたこともわからなかった。

いつもの情緒不安定だと思って

なぜか数日出勤して半休してみたいな感じで、少し頑張ってしまった。

夢の中にいるみたいで、話してても上の空な感じで地に足がついた心地がしなかった。文もまともに読めないし、集中力もないし、家事も全くできなくなった。

横たわってると悲しくもないのにずっと涙が出てくる。

そして、涙は毎日出て止まらないから

すぐには戻れないとやっと気づいた

またか、人生で3回目の精神崩壊でした。

そしたら

全部虚しくて、太陽にもイラついてそんな自分が出てきた

そこには我慢した子ども私が駄々をこねてた


心療内科に行ったら先生の態度が私的によくなくて

ただでさえ敏感なのにさらに神経質なってるから怒りが止まらなくて2日寝込んだ。


最初の1週間は混乱と疲労でよくわからなかった。人が全くダメになって、誰も受け付けたくなくなった。傷つけてしまう攻撃性もあった。眠れない、胃も気持ち悪いし、ただ疲れてた。歯医者に行く予定もあったけど、何言われてるのかわからんし、ここまで来た意味ないような治療するから機嫌を態度にあらわにしてた。人混みもゾッとするくらい疲れた。

次の週には家族に助けてもらって、なんとか日常を過ごせるようになったけど、焦燥感はたえずあった。

先週は別のカウンセリング受けて初めて自分の精神のことについて話した。すっきりはしなかったけど、話せた自分に成長したなぁと思った。誰かを頼ることを選択肢に入れられるようになった。よかった。

先週末から1人で過ごして、思い切り泣いたり、ぐうたらしたり、合間に部屋の片付けしたりした。やっと自分のペースでできることに安心した。焦燥感もまだあるけど、不安はない。

今日1人ででかけてみたら、意外と人混みも大丈夫だった。

でも、まだやりすぎると思考停止にすぐなるから、油断せずやれることだけしていこう。どうなるか本当にわかんない。


意識して自分で気をつけたことは


感覚に従って行動した

こうした方がいいみたいなのとか、今までの習慣とか全部無視したやりたいことだけした。思考でなんとかねじ込むことはしないように。というかできなかったけど。小さな声も全部拾って甘やかしてみた。


嫌なことは全部排除した

できないことはできないとちゃんと報告。こうしてほしいとちゃんと言った。見たくない聞きたくないものは遠くに置いた


湯船につかる


意識的に眠るようにした


できないことは他人に任せた