いろいろ大変なこと、苦しいことがあると、貴重な経験してるなあと思う時がある。


高校の不登校の時そう思ってた。精神的には苦しいはずなんだけど俯瞰してる自分もいた。悩んでることで安心したりもしてた。

中学の不登校の時は、なんで私だけこんなに苦しい気持ちにならないといけないのかと誰にもわかってもらえないとずーっと嘆いてたことがあった。みんなと同じ道から外れて生きていくんだと思ってた。これが私のスタンダードなんだと括って生きてた。でも、不思議と大人になってから10代は普通で過ごしたかったと強く願ってた。それも可愛い経験だと感じる。


ぐるぐる思考したことも散々自分を傷つけて自己肯定感最悪だったけど、ネガティブな感情飽きるまでやり尽くしたんだと思う。かわいそうな自分を生きるのはもうこりた。幸せな人生を用意してあげたいと思えるまで、感情をやりつくした。最後に自分を救えるのは自分だけ。


全部ひっくるめて今の私の価値観になったと思うと何一つとして欠けてはいけない材料だったと思う。

 

悲しいこと、苦しいこと、大変なことしてるときこそ生きてると一番私は感じる。貴重な体験してるからこそ思うのかもしれない。

魂が還るところはそういうことないから、ここでたくさん成長してるんだと思う。


なんかそんなことをふと思い出した夜。

やっと心がフル充電できたみたいな感覚だ。

集中力も以前みたいに保てるし、頭を使ってもそんなに疲れなくなった。

意欲はあるのにできない体がもどかしくて悔しくて情けないと思ったこともあった。まだ休むべきだっただけなんだが。

でも、前みたいに1人で普通の生活ができるのかは、わからん。一番苦手な人間関係は、普通の時から力を要したから、怖くなることもあるけど。


精神の回復がめっちゃ早くて、自分の成長を感じる。というか回復するように努力できるようになった。ちゃんと自分の弱さと向き合えるし、受け止めてゆるせるし愛せる器ができていたのかもしれない。前はどうやって自分を癒し甘やかしていいのか全然わからなくて傷つけてばかりいたから。まだ何も自分を理解できてなかったよね、仕方ないね。


以前、同じようになったときは一年経っても回復し切ってなくて、勉学を仕事をする選択をしてしまっていたから、エネルギー浪費がすごかったんだろうな。それでここまで進んできたからガタが来るのも自然じゃないか。


今度はエネルギー充電してから新しく進もうとしてるから、すんごい幸せが待ってるって確信できる。何も根拠はないが。


今まで起きたことは一つも無駄ではない。うまく自分の過去や経験を使うのかそうでないのかは自分次第。何もできない時も辛かった時代も全部、幸せになりたいと心から望むための準備で、苦しかった自分に戻らない覚悟ができるから、とてもありがたい経験だ。生きてることが尊くて、素晴らしい奇跡だということ噛み締めて生きられるのは大きなご褒美だ。


わかってほしい

本当の理解はできなくても、知ろうとしてくれる姿勢が欲しい


受け入れて欲しい

ダメな私も受け入れて欲しい


優しさが欲しい


突き詰めると

愛されたいと思っているそれだけのこと


単純なことを押し込めるとややこしい形で表れるから、できるだけ感情は生のままで出した方がいい。表現はマイルドでいいけれど。


どうあがいても私は私でしかいられないから。