私の中の固定概念

人々や物事を見る目

自由でいいと本当に思ってるけど


世間?この言い方も嫌だけど

今までに培われてきた物事の見方が

私にも染み込んでると思うことがある

同調を求められたり、会話の流れで固定概念を肯定してしまうことがあって自分で悲しくなる。


人生経験からくるものだったり

おおよそそうだと体で知ってるから

なんか切ない


人の数だけ豊富に生き方がある。

社会が追いついてないだけだと思ってる。

今の技術や人の価値観ではいろんな管理を多様にするのに限界があるってわかる。

物質的豊かさが普通になっていき、また崩壊しつつある現状で

今精神的な豊かさの発展途上なんだと思う。

じれったいけど、私もその中の1人なんだとふと思った日だ

自分のブログ読み返してたら、親に対する憤りみたいな気持ち軽減した。なんか励まされた。

ありがとう、自分。


子供のときから親には精神的な話は全く通じなくて、傷つきすぎるから心閉ざしてたけど、今一緒に過ごしてみてやっぱり同じ気持ちになる。私と同じような経験したことないから理解できるとは思ってないけど、わかって欲しい、せめて私の心受け入れて欲しいと思考と感情とで葛藤してました。今までは自分の中で距離をとることで回避してたから、住み始めてみたら向き合わざるをえない。私の一つの課題だと思うんだけど。親だと思うからつらいので、知人くらいに思ってるけど心からは思えない。何で受け入れて欲しいと思うのか。私は話をするときに相手を尊重しながら意見交換したいけど、親は一方通行。そしてかなりのステレオタイプで他人軸。私のこと決めつけてくることもあってストレス。私は気持ちの共感を多少なりともしたいけど、愛情表現が物理的な援助が過多でつらい。そんなことブログ書いて突き止めてたら、

なんだ、この人はただコミュニケーションが下手なんだと今やっと思えました。あれ、どうってことなくなった。この人はこれが生きやすいやり方で私とは違う人すぎて異世界の人なんだと思えたら、ちょっと、楽になった。


ずっと割り切りたいのにできない自分がもどかしかった。真面目に何で説得させようとしてたんだろう、自分の都合のいいようにしたくなってたんだろう。

たまに私の地雷ふんで爆発することもあるけど。それでもスタンス変わらないので不思議だわ。

私の心の居場所がなくて、物理的に一番身近な親に無意識に求めてたのかもしれないね。


あー、なるほど、家族の価値観に影響されて、高次元の視点がなくなりかけてた。視点低過ぎてたことに気づけた。ありがとう、過去の自分。

こんなふうになる前に、波動が上がるように努力しよう!

やっと気づけた

環境で私の性格が変わるのは適応しすぎてると思ってたけど。世話焼きのところもあるし。。。

ただ傷つかない方法の一つだったのかもしれないと。


否定されても批判されても本当の自分じゃないから傷つかない。

だから逆に褒められても本当の自分じゃないから嬉しいと思えない。技術を褒められてる気分。誰でもできるでしょうとも思ってた。

やけに腑に落ちた。

仕事のキャラが私を閉じていたことも。


簡単には変わらないこと知ってる。

グラデーションで自分を出せるようにはなってるけど

祖母や従姉妹にまで初対面な感覚になってなんか自分出せず人見知りだった。なぜ。

心開くのむず過ぎでしょ、私。


このままでいいとも思うけど飽きたよ。

自分を守りすぎるのも閉じ込めるのも、自分のこと諦めることももうしないの。

私のまんまどこにいても私のまんまでいたい。

取り繕いたくないよ。心労をしたくないから。