一年経って、わかったことがある。

当事者でいると、距離をとらないと大枠がわからないことがある。

 

まず物理的なことの影響。

去年実家に引っ越して、3,4か月はストレスを受けていたんだと思う。

精神がまだ戻っていないのに、引っ越しなんてするもんだから、相当ストレスだったんだと思う。

引っ越し直後から一か月病みがちだった。

しかも、その時は精神が戻ってると勘違いしてたから、病気の回復途中とも気がつきもしなかった。

もっと健康になるのには時間がかかった。

苦手と思い込んでいる家族との共同生活。それは、思い込みと精神状態と、本当に苦手だということを確認しまくって、ひどくつらくさせていた。嫌なことはしないと決めているのになんでこんなことしているのかという気持ちもあった。

未だに、私自分の精神を甘く見てるのかもしれない。自分が思うよりもっと繊細なのかも。

昭和や平成を代表する幸せのテンプレートに生き方は、違和感あったし、その時代は仕方ないと合わせることすらかなり努力が必要だったということ忘れてしまう。

だからこそ、この生活に慣れるまで半年以上かかった。

 

そして、秋ごろから少しずつ向き合わざるを得なかった。母親に対する気持ち。

私のいらないものをクリアにするべくそして、私のあり方をちゃんとかたどるために必要だったこの寄り道。

全部吐き出せたのかもわからないけれど。掃除した心の過程を書いておきます。

 

10代の時にもった母親に対する葛藤を目を背けずに取り出すのは大変だった。

今までは物理的距離を取ることで痛みを感じないでいたけど、久々の自分のネガティブな感情に疲れる。

引っ越してから、生活音も、話す内容も声のボリュームも全部私がしないことだから、嫌悪感マックスだった。

波動が低いのがすごくわかって、家の邪気みたいなのも感じていた。

最初は心の距離をとろうと思って、他人だと思おうとか、無視しようとか、思って流そうと必死だった。

でも全然ストレスばかりだった。

なんでいい子でいようとまだしているんだろうと思って、自分の中探ってみたら、嫌な雰囲気になるのがいやだということにぶち当たった。

別にそうなったって大丈夫だと、荒れても乱れても自分の気持ち無視することのほうがつらいから気持ちを言ってみることにした。ちょっと反抗したり、こういうのは嫌だと言ってみた。でも私も親に対する自分演出から抜け出せなくて上手に伝えられず。そして、話が分からない相手だということもあって、大きな意味はなかった。ただ、ちゃんと嫌だって言えるようになったのは進歩だった。

どうやってもこの嫌な気持ちを消化できなくて、「十代の時書いて解決してた」と思い出して、歌詞みたいにたくさん自分の気持ちを書いてみたら、最終的に「愛されたい、大切にされたい」というのが出てきた。

幼いときは大切にされたというかお世話をたくさんしてもらえていたのが愛だと感じていた。

下の兄弟ができてから、それを感じることなく成長したんだと思う。

親に愛されたいと願うのは本能に近いのではないかな。生存本能というか。

近すぎる存在ゆえに切り離そうにも切り離せなかったり。

親子という肩書は否定せず、もうそれをそのまま感じようと思った。

母は私のことを愛していないようにみえないだけで、表現が壊滅的に下手なんだと思えた。

そう思えたことで少し楽になった。私のほうが親に距離詰めすぎていたんだと。

魂の年齢が実年齢とは違うから、私は家族コントしている。

私も相手も学びがあるように、あえてこういう役割で生まれたんだとも思えた。

俯瞰的にみることで、自分の愛され方はこうでなくちゃいけないという枠が外れた気がした。

 

母親、父親の嫌なことや苦手なことは私の心を守るために反応していることだと。

きっと愛されたい気持ちが強く、嫌なことすること=大切にされていないと感じていたんだと思う。

寂しい、大切にしてほしいと思っていたんだろう。

去年の自分では自分を愛する力も弱く、本当に渇望していたんだと思う。

ほんとずっと些細な言動や癖にいちいち嫌な思いしていた。今も多少は感じるけどインナーチャイルドが感じているのではなくて、本当に人として苦手なところだけになったので少しマシになった。

こういう家族とのもやもやをちゃんと可視化して、具現化して取り出すことが必要だったみたい。

 

エネルギーの入れ替えには、スペースが必要だったんだ。

今、不必要なものは、なくしておくべきだと思っていたので、それがやってきたんだと思う。

実家に戻らなければ感じなかったものを取り出すように流れが来ていたんだと思う。

だからこそ、やっと言える。

親からの学びはすべて終えました。