頭はハゲ散らかしてて
ベタベタの手垢がついたメガネの
いかにも一癖ありそうなおっさんが
「努力せずに何かできるようになる人の
ことを「天才」というのなら、俺は
そうじゃない。努力した結果、何かが
できるようになる人のことを「天才」と
いうのなら、俺はそう思う。
人が俺のことを、努力もせずにここまで来たと思うなら、
それは間違いだよ」
ってお酒の席で後輩に語ります。
上司か偉い人か知らないけど
聞いてる若者達ははうんざりした顔で
「また始まったよ…」と途方に暮れる。
まあ、よくある光景です。
似たような経験は誰にでもあります。
実はさっきの言葉はある有名な人の名言。
そう!あのイチローの言葉です。
「努力せずに何かできるようになる人の
ことを「天才」というのなら、
僕はそうじゃない。
できるようになる人のことを
「天才」というのなら、
僕はそうだと思う。
人が僕のことを、努力もせずに
打てるんだと思うなら、それは
間違いです。」
これを直接イチローに言われたら
よほどのひねくれ者じゃない限り
「やっぱりそうだよな!」って。
僕らは「何を」を大切にしてるようで
実は「誰が」言うのかを重要視します。
もっと言えば
自分の信じたい人の言葉は信じるけど
信じたくない人の言葉はどんなに
素晴らしくても受け入れられません。
世の中に溢れてる名言などは
乱暴な言い方をすれば
「当たり前」のことを言ってる。
イチローだって
ビルゲイツだって
ニーチェだって
アドラーだって
言ってることはそんな奇抜なことじゃなく
普通に考えても分かることが多い。
でも、隣のおっさんよりは
イチローから聞いた方を信じるし
ムカつくおばさんに注意されるより
池江璃花子さんの言葉に心震える。
所詮そんなもん。
その「誰が」が大切なことを
すっかり忘れて、その気になって
同じこと言っても人には響きません。
そう、僕自身のことです。
人が納得するような実績や
誰もが感動するような努力もないのに
偉そうに人生語っても、前述の
おっさんと何も変わりません。
まずは自分自身のことだな。
それから能書きたれないとね。