自分が耳悪くなる前は分からなかったこと。
コミュニケーションに言葉って大事で
聞こえが悪いとか
聞こえないって
ものすごく疲れることだって。
左の耳が耳鳴りで聞こえが悪くなったのが
3年ほど前から。その時も耳鼻科に
行ったけど、ある程度の耳鳴りは
仕方がないので『気にしない』ことが
大事だって言われた。
たしかに一理あるなと思ったし
仕事でのストレスも半端なかったので
多少の耳鳴りは仕方がないと考えるようにし
我慢していました。その時は
脳神経外科なんて受診しようといは
考えもしなかった。
でも
うちの会社って飲み会がやたら多くて
取引先との飲み会も結構あって
昔ながらの『飲みニケーション』が
普通にあるような会社。
で、これが辛いんです。
周りがガヤガヤしているところで
特定の人の話を聞き分けることが出来ない。
話してる言葉の中の聞こえるキーワードを
頭の中でつなぎ合わせて、
なんとか理解しようと必死に聞くけど
かなりのズレはあるみたいで、変な空気に
なってしまうことも度々でした。
さらに僕の仕事は営業なので、
相手の言ってる言葉を
いかに聞き、しっかりと受け答えすることが
重要なことだったりします。
今年に入って右側の耳でも耳鳴りが
始まった頃からは、仕事から帰ってくると
半端じゃない疲れ方でした。
今回MRIの結果、腫瘍があることがわかり
気になるのでいろいろ調べてみると
こんな言葉が目に入りました。
視覚障害は『人』と『物』との間に壁を作る
聴覚障害は『人』と『人』との間に壁を作る
言われてみるとたしかにそうだなって。
僕がなかなか聞き取れないのを知ると
周りの人はゆっくり話したり、大きな声で
話してくれたりもしてたけど、
どこか『面倒』な感じは否めませんでした。
僕も同じで、耳が悪くなる前は
なかなか話が通じないとか
理解度が遅いとかの
そんな場面ではイライラしてました。
まるで卓球の試合のように小気味好く
言葉のラリーが出来るのが楽しくて
まどろっこしいのはイラついてました。
しかし
いざ自分が
『聞き取れない』
という立場になると
イラつかれるのがわかるから
なるべく話しかけなくなるし
出来るだけ手短に伝えることだけを
話すようになってしまいました。
だからと言って
急に周りの人に『聴覚障害』に理解を…って
言ったとしてもなかなか理解されない。
世界的に見て、日本の障害者への理解度が
どれくらいのものかわからないけど
間違いなく言えるのは
『人と違うことを嫌う』
という考え方を多くの人が持っている。
みんなと同じ
空気を読む
なるべく目立たない
今までの自分もそうだっただけに
この根深い感覚って
そう簡単に覆ることじゃないのかなって。
だから
卑屈になってるわけじゃないけど
本当の意味での
『相手の身になって考える』
ことって、自分も含めて
全く出来てなかったなぁって思います。
これから検査です。
どんなコトを言われるか不安しか無いけど
嫁さんも
娘ちゃんも
涙流しながら僕の回復を願ってて
とてもじゃないけど凹んでられません。
まずは、自分がこうなって感じたコト。
また状況が変われば感じることも
変わってくるのかなって思ってます。