こんにちは。
今日もわざわざ見に来ていただき
本当にありがとうございます。
今日は少し重い話。
あなたは、親孝行してますか?
私と同じように、すでにご両親は
お亡くなりになってる方も
いらっしゃることでしょう。
少しだけ、私の過去の話にお付き合い
ください。
何度か、このブログでも話を書き
ましたが、私の母親のことです。
私の母親はCOPDという病気で
亡くなりました。
昔は肺気腫と言っていたそうですが
タバコが原因で肺の細胞がドンドン
ダメになっていく病気です。
私の母親は昭和19年生まれの申年
私とはちょうどふた周り違う同じ
申年。
若い頃から破天荒というか、女に
しておくのは勿体無いくらいの
バイタリティのある人でした。
終戦間近に10人兄妹の末っ子として
生まれ、子供の頃は病気がちで
左眼はほとんど視力がありませ
んでした。
小学校も行ったり入院したりで
まともに行けなかったそうです。
でも高学年になるころから少し
づつ身体も良くなり、学校には
通えるようになりました。
まともに通えなかったので、正直
勉強はかなり遅れていました。
そこで、母は何を思ったか、名古屋
でも有名な女学校に受験したいって
思いました。
多分、友達もいないし、何より
負けず嫌いだったので、見返して
やるって気持ちもあったのでしょう。
ちょうど、大学に通っていた兄に
みっちり勉強を教えてもらうと
いうことを小学5年、6年とやった
そうです。
難関を突破し見事お嬢様学校に
合格しました。
この根性は見習うべきですね。
中高一貫校で周りを見ると、名古屋の
名だたる大企業のご令嬢や老舗
呉服店のご令嬢ばかり。
雨の日などは、黒塗りの高級車で
お出迎えは当たり前。
ウチの母といえば、町の靴屋の娘。
それも、10人兄妹の末っ子なので
私からするとおばあちゃんになる
母の母親はかなりの高齢。
雨の日、迎えに来たときなどは
「あっ!婆やが来たわ!」
などと言っていたそうです。
そんな女学校時代から母の
破天荒ははじまりました。
学校の授業料を全部使い込んで
遊んだり、当時は珍しかった
ファッションモデルの事務所に
勝手に登録して芸能人と遊び
まわったり、とにかくやりたい
放題。
そんな母親とは対照的なマジメを
絵に描いたような七三分けの
父と出会い結婚し私が生まれました。
料理が凄く得意で、ピーマンや
人参が嫌いな私のために細かく
刻んで混ぜ込んで作ったハンバーグの
味は、なんとなく今でも覚えてます。
結婚して落ち着いたとはいえ、性格
はなかなか変わらないので、勝気で
強いイメージが残っています。
母と父が夫婦喧嘩をはじめると
最後は包丁を振りかざし、外まで
追っかけたりと派手な喧嘩でした。
まだまだ、ここでは書き足りない
くらいエピソードはいっぱいありますが、それは又機会があれば。
母親がCOPDになった時は
すでにかなり進行していました。
酸素ボンベは手放せないし
自宅の中には酸素を発生させる機械
を設置してそこからチューブで
常に鼻から酸素を吸ってました。
病気のことを詳しく聞くために
先生に呼ばれて私が聞きました。
「正直、お母さんの肺の状態では
いつどうなっても不思議では
ありません。覚悟だけはしておいて
下さい。」
と言われ私はそこまでと思って
無かったのもあって真っ白。
それから、徐々に理解できてくると
悔しくて涙が止まりませんでした。
あの、元気で、強気な母親が
肺の病気のせいで、体重は30kgを
切るくらいガリガリに。
まだ、64歳なのに見た目は
70~80歳くらいに見えました。
体重が少なくなったせいか
眠れないともらった睡眠導入剤で
意識が混濁してしまいました。
最後の方はまともな時はすごく
まともですが、まるっきり妄想の
世界に入り込んで訳がわからなく
なることもしばしば。
ある日、入退院を繰り返していて
たまたまゴールデンウイークに
一時帰宅を許された時に
私と妻が母の元を訪れた時
オニギリを握って持って行った私の
妻に
「私のことはいいから、息子の
誕生日を祝ってあげて•••」
と言いました。
私の誕生日は5月1日。
こんな、痩せ細って自分のことも
まともに出来ないくせに
いい大人になっている私のことを
心配して。
それからちょうど
一週間後に亡くなりました。
母とまともに会話したのは、あれが
最後でした。
親になった今なら少しは理解が
できますが、最後の最後まで
息子の心配をして死んで
しまいました。
亡くなってからしばらくしてから
嫁に聞いた話では
「まだ死にたくない!まだ•••」
と言っていたそうです。
なんの孝行も出来ないうちに
最後まで自分勝手に行ってしまった
母ですが、自慢の母です。
そんなDNAを受け継いでいるの
だから頑張らないわけには
いきませんね。
長くなってすみません。
今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
また、明日!