生きること、死ぬこと | The Sence of Wonder

The Sence of Wonder

呼吸器医として、喘息・結核の診療の傍ら、卒煙支援もしています。
二児の母として、妻として、医師として・・・
日常のほんのちょっとした Sense of wonder を発信しています。

今日は二十四節気の小雪。 
暦どおり、北風が冷たく木の葉を落とし、 
澄み切った青空のした、ひだまりだけが暖かい、そんな一日。 
晩秋の日比谷公園、色とりどりに染まった木漏れ日を 
堪能してきました。 

先日、映画「おくりびと」を観ました。 
最近は入院患者さんを診ることが少なくなったため 
直接、お看取りする機会はずいぶん減りましたが、 
職業柄、これまで、数多くの死に直面してきました。 

家族に見守られて逝く死、孤独な死、 
自宅で迎える死、病院や施設で迎える死・・・。 

映画のなかで「死は門だと思う」という台詞がありました。 
死は生の対極ではなくその先の世界へ通過する門のようなもの。 
私には、すっと心の中にしみこんでくるような考え方でした。 

このところ、生や死をテーマにした本を読む機会が続き、 
また、30年来の付き合いの幼馴染が 
癌で手術をしたことなどが重なったせいか、 
私の中で、死ぬこと、生きること、そして命について、 
思いをめぐらせる事が多くなっています。 

最近読んだ本の中で、別の著者がそれぞれに、 
宮沢賢治の「永訣の朝」を引用していたことは 
大変印象深く感じました。 

「けふのうちに とほくへいつてしまふ わたくしのいもうとよ」 

私が接してきた死のほとんどは、 
突然訪れるものではなく、こんなふうに、 
少しずつ歩み寄ってくるものだったかもしれません。 

「絵本の世界には、人生の全てがある」 
とおっしゃったのは、読み聞かせなど、熱心に活動なさっている 
私の尊敬する小児科の、あるドクターですが、 
いま、まさにそう感じられる本が一冊、手元にあります。 

「黒グルミのからのなかに」 

愛する母にまもなく死が訪れる事を知り 
死神をくるみの中に閉じ込めてしまった少年の話です。 



命がまわるということ。 
「死」があってこそ、「生」があるということ。 

だからこそ、穏やかな気持ちで 
1日1日を大切に過ごすことこそが、 
「生きる意味」なのかもしれません。 

ホスピス医で、「いのちの授業」を広く展開されている 
小澤竹俊先生の著書「いのちはなぜ大切なのか」 



この中で、人がおだやかでいられるための 
三つの柱が紹介されています。 
それは、時間の柱、自律の柱、関係の柱。 

時間の柱とは、将来の夢。 
自律の柱とは、自己決定できること。 
関係の柱とは、大切な人との関係。 
そしてもっとも大切なのは 
「自分が大事な人間であると思えること」であると・・・。 

今日は11月22日。「いい夫婦の日」でもあります。 
私を支える大切な柱の一つ、素晴らしい伴侶に感謝しつつ、 
そして、今日一日を幸せに過ごせた事を感謝しつつ・・・。