私にとって幼少期は
ずっと暗黒時代だった


良妻賢母にこだわった母
それは家族と言うよりも
私の目には奴隷のようにしか見えなかった




家族のために必死に働いて
自分が楽しむことは
まるで罪のように…



なに一つ自分のために生きたことのない人だった



母が尽くせば尽くすほど
父の困った行動は増えるばかり…


父は仕事をやめ昼間から酒を飲み


パチンコで負けて帰れば不機嫌を撒き散らし


電気屋で最新家電をツケで買うのは日常茶飯事
父のおかげでいつも貧しい。ご飯、たくあん、パンの耳が日常の食卓でした。何故か、父にだけ刺身や焼き魚


父の機嫌が悪いとき、母はいつも子どもを使って声をかけさせる。
でも、父は平気で子どもを無視する。嫌なこと数々あったけどさ、これは本当にキツかった。無視されるって存在そのものを否定されるってことだもの。
も嫌だと思うけど、それは子どもだって同じだよね。
これは今でも両親恨んでる。


まだまだ、言えないこともたくさんある。




漫画や本を読んでる間が一番幸せだった
自分の感情と向き合う必要もなくて
現実を忘れさせてくれたから


いつしか父に

『早く死んでくれ』


そう思うようになりました



兄も弟も同じ気持ちだった
実際、弟が包丁をつかんだこともある
みんな限界だった



父が冗談で私に
「橋の下から拾ってきた」
そう言ったとき


『いつか本当の父がここから救いだしてくれる』



そう思うことが私の希望になった。



中学に入りそんな日が来ないと知ったとき
それは絶望に変わった…



小、中、高と学生時代はずっと人に合わせて
生きるのが精一杯。


友達の気をひくためプレゼントを渡したり、他の学校に彼氏がいるって嘘ついたり
この類いの話ってみんな、キャーキャー引き寄せられてくるから優越感。
興味がない光GENJI(昭和のジャニタレ)の誰々が好き~とか話を合わせたり…


全然、自分を生きていた感覚がない。



勉強なんてしたことない
いつもテストはクラスで最下位。


授業内容なんて、とっくについていけなくて
寝るしかなかった


高校受験はやっぱり落ちて
勉強してないから落ちて当たり前なんだけど…

倍率低い所だったから
落ちたことが恥ずかしくて…
友達の顔も見れなくなった



滑り止めで入った高校が
凄~く教えるのが丁寧で


中学校の基礎から学びなおしたから
なんとなく勉強ができるようになった
振り替えると勉強に関してはターニングポイントだったのかな?って思うけど、当時の私はずっと腐ってた



でも、私の劣等感は高校受験に落ちたことで
更に強くなっていたから


夢や希望なんて何もなく

友人の看護師になりたいって夢に
流される形で将来を決めた




看護師になって社会に出てからようやく

人に必要とされている

そう実感できた




生きてるのもわるくない


生まれて始めてそう思った




目の前の道がパアッ~

…って
広がって行ったのを今でもよく覚えている



実家にいるのは苦しかったけど



『苦しんでいる母を守る』
それが私の生きる理由でもあった



家を出るって選択は
考えることもできなかった



頑張って私を育ててくれた母を置いて
家を出るなんて
人の道からはずれることだと思ってた


看護学会で横浜に行ったとき
友達とよく当たるという占いに行った



『おかあさんと離れた方がいい
今、自分の人生を選ばなければ
ずっとお母さんの人生を歩むことになりますよ』


そう言われました。





母と同じなんてイヤだ~!!

急に未来が怖くなった…



帰って母に伝えると

「雪美が幸せになるのが一番嬉しい。
家を出ていいんだよ」


そう言ってくれました。
顔が苦しそうで、心から喜べなかったけど…



32才で5年間の交際を経て結婚。
占いって頼りすぎるのは良くないけどSOS出してる自分にフタをして過ごしてた私にはいいタイミングだったな~


実家が底辺だったから
結婚生活はまさに天国ラブラブ



自分がすべての家事をしても
全然苦じゃなかった

いつも主人にありがとうって思ってた



子どもができても
生活を変えない主人。
でも、尽くすことが私の喜びだったから
全然苦にもならなかった





今から約3年前。
結婚15年
娘が小学6年生
息子が小学2年生



息子が学校に行きたくないって言ったときから…



主人に対する恨みつらみが止まらない笑


あなたが見ないふりしたからこうなった
私ばっかり頑張って
私ばっかり子どもと向き合って
結婚しても子どもが生まれても



なーんにも行動を変えようとしなかった
あなたのせい

そんな思いがグルグル巡る



誰かのせいにすることで
自分の心、守ってたんだな~


頑張ってた私をハグハグ

な~んて

今だからハグできるけど
当時の私なんて


ぜーんぜん
自分の心なんて見えてないから



自分責めが止まらない

子どもに寄り添う余裕なんてなかった
頑張って寄り添ったつもりではいたんだけどねー
寄り添い方間違えて余計こじれた💦




自分に対する自信もない


職場では、患者さんに点滴しようとしても
何をやっても失敗する気がして
手が震える
通常業務もできなくなった


仕事は私の存在を認めてくれた場所
娘でもなく、母でもなく、妻でもない
私に
『存在していいよ』って教えてくれた場所


そこでも役に立たなくなった…

そして、私はゲームに依存した。


私に異変を気づかせてくれた主人の一言。


「ゲームしてれば何にも考えずに済むから。

それは自分を守る必要な時間だな。」



怒るでもなく、あきれるでもなく
私の苦しさに共感して寄り添ってくれた。
主人には本当に感謝です。



落ちまくったら、あとは上がるしかない
この発想の転換は
幼少期から数々の経験で培ってきた強み。


不登校
共感しましょう
寄り添いましょう


って本やネットに書いてあって…
実践してみるんだけど
共感しても、寄り添ってるつもりでも
一向に変わらない現実が、さらに私を苦しめた



不登校に関して
本やネットを読みあさり


心理カウンセラーの資格も取った。

そして今も心理学は学び続けている




自分に対して共感や寄り添うことができてなければ
子どもにも共感や寄り添うことができないと知った



だからうまく行かなかったんだ…って
ようやく気づいた



自分に向けて
「苦しいねー。辛いねー。」
って気持ちに共感して


その感情に寄り添ってあげること



それが何よりも大事だって気がついた。



子どもを満たそうとしても
私の器が空っぽじゃ満たせない


自分の器が整えば
自然と子どもや周りを満たせる



そんなことも気付かずに
右往左往してたんだよね…


本当、学んで良かった。



そして学んだことで見えた
両親の歪み


みんな見えない呪縛に縛られて
負の連鎖ができていた…ってこと


そう思うと
全てが仕方ないって思えるようになってね。


許せない
でも
仕方がない


だよ。


許すほど
私は大人じゃないんです。
もう50だけどさ…😅
年なんて関係ないよね~



ずっと自分がうまくいかないのは父親のせいだ
って思ってきてて
困難があるたびに
父親を恨んだし


開運にいいって言われて
水晶の判子も購入した
めっちゃ高かった。みんな~、気をつけてね~
私は買っても全然効果なかったよ~


買い物してるときだけは心が解放された
気づけば買い物依存になっていた…
自分で依存に気づいても止めることができない
使わないもの、着ないものが目に入るたび
自己嫌悪を繰り返した




息子の不登校で
『自己受容』っていう言葉と出逢いました


自分の思いを
『いい』とか『悪い』で決めなくていい
ありのままの自分を認めてあげる



親に対して憎んいる
でも、そう思っちゃいけないって相反した感情
で苦しくなっていたから
どんなネガティブな感情もあっていいんだよ~
って言われてるようで凄くホッとした


そう思えたとき
すべての捉え方が変わってきました。



父をずっと憎んできたけど
その環境を作った一因が母にもあった
気づけば私も母と同じ生き方してたんだよねー。無意識の刷り込みって怖いあせる気づかなければ自分の子にも同じ人生歩ませるところだった…



『母のために』
…と自分を犠牲にしてきたことに気づいたら
母を恨んだこともあった



だけど、自己受容して
自分が満たされていくうちに


母も自分の『良妻賢母であるべき』
って価値観に縛られて
苦しんでいたことに気がついた



母がもう少し自分に目を向けれたら

楽に生きることもできたと思うし
子どもと過ごす時間だって
もっと大切にできたと思う



そんな母の生きてきた背景を考えたら
自然と母を憎む気持ちも薄まった


私がお腹痛いときにさすってくれたな…

とか
自分の忍耐力の強さとユーモアは
母譲りだな

とか
本当は優しさを持っているのに
素直に表現できない
そんな父の側面に気づいて
ようやくいいところを認めることができました。



今は自分の器の満たし方がわかったから
全然、自分を卑下しない

「苦しかったね。頑張ったね」って自分に寄り添うことができるようになった



私の場合は息子の
『不登校』
をきっかけに気づくことができた。


そう思ったら
不登校って私にとったら希望でしかない



息子の幸せだけを強く願ってしまったから
不登校が息子の将来を終わらせてしまうって
本気で怖かった



行かせるのが私の責任だと思ってた



無理やり行かせようとして
息子を凄く苦しめたし


自分も更に苦しくなった。




だけど自己受容できたら
息子自身が、不登校を選んでるってわかったし




「できていること」に目を向けたら
自分が思っていた以上に
成長してる息子に気づいて
口を出さずに信じて見守ることができている



不登校にならなければ
息子に私の人生を歩ませるところだった…



不登校になってくれてありがとう
心からそう感じてます。


私は
子どもの不登校のおかげで
自分らしく生きれて
自分のことがもっと好きになりました
そして、私の負の連鎖も断ち切ることができた


だから今、過去の私と同じように苦しむ方にも
伝えたい。
『不登校』って言葉に振り回されないで
問題の本質を見たら
未来は可能性に溢れてるよ
ってこと



生まれたときから両親に刷り込まれた
価値観(思い込み)が
気づかないうちに自分を苦しくさせます。



不登校はそれを気づかせてくれる
きっかけの1つです。



お子さんは自分を守るために
不登校という形をとっています。



決して
両親を苦しめるためでも
悲しませるためでもありません。



でも…
苦しんでいる両親を見るのは
凄く辛いことだと思います。



もしも、お子さんをみて
辛いな、不安だな…と思ったら
それは自分の心のSOS


自分が満たされれば
ありのままの自分を愛すことができますし、
自然とお子さんの今の状況も
ありのまま受け入れることができてきます。



そうなってから
ようやく現状が動き出します。



お母さん

苦しめてごめんね

僕のせいで無理して笑わせてごめんね

僕の人生じゃなくて
自分の人生歩んでね


少なくても
うちの子は、こんな風に思ったようです。



『もっと、自分を大切にしていいんだよ』
『十分、頑張ってることにきづいてね』
『無理しすぎて苦しくなってるよ。
もう無理しなくていいんだよ』


昔の私にかけてあげたい言葉です。


そして、今苦しんでいるみなさんにも
かけてあげたい言葉です。



自分のこと、もっと大切にしてくださいね。
応援しています。


次回は、私がとっても楽に生きれるようになった
『自己受容』のお話。
私を救ってくれた自己受容。愛がとまりません笑

楽しみにしててくださいね~




[不登校]で検索しまくってたとき
よく目にしたのが

自己受容
課題の分離
目的論

たくさんの学びを得て、本当に楽に生きれるようになったんだよね。
過保護、過干渉、アドバイスにダメ出し
ぜーんぶ手放せて、
子どもを信頼できるから、子どもは本来持ってる力を惜しみ無く発揮する。
子どもにも私にも無限の可能性があるって知りました


後々、それがすべて
アルフレッド・アドラーを開祖とする心理学である
『アドラー心理学』に繋がっていると
知りました。


『あなたが運命の人だったのね~愛飛び出すハート
って
もうビビビビビビビ〰️ってきちゃって



昨年アドラー心理学の講座を受講して
自分で気づき、自分の可能性を信じられる
アドラーのワークが大好きになりました。



不登校で悩むたくさんのご家族
ママさん、パパさん、子どもたちに
絶対役に立つ!

絶対に伝えたい!

そう強く望むようになって


3月21日に
講座を自分で開催できるよう
リーダー養成に申し込みしました。



自分が苦しかったときに
「辛いよね~、わかるよ~」っ話を聞いてくれる人を切実に求めていたの。
苦しい胸の内を吐き出せして思いっきり泣ける場所
なので無料でしている不登校支援の相談はそのままに。



それとは別に



不登校に振り回されず
子どもの人生を信じて見守りたい。
本気で自分の人生を変えたい!

そう思う方に、講座を作る予定です照れ
どん底の私でも変われたんです。
そして、私だから伝えられることも
たくさんあると思います。


一歩踏み出したい…
よくわからないけど、話を聞いてみたい…

そう思われた方は公式LINEでお待ちしています😊



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最後までお読みいただきありがとうございました😊