息子の不登校を通して、
自分を信じられるようになった私。
なんだか不思議。
あんなに苦しくて、
できることなら経験したくなかったことなのに。
息子が学校に行けなくなった頃の私は、
自分の子育ても、
自分の判断も、
自分自身のことも、
信じられなくなっていました。
どうしたらいいんだろう。
何が正解なんだろう。
私の何がいけなかったんだろう。
答えを探して、
いろいろなことを学びました。
でも、息子のことを知ろうとして始めた学びは、
いつの間にか、自分自身を知る学びにもなっていました。
私は何を怖がっているんだろう。
どうしてこんなに「強くなってほしい」と思うんだろう。
私は本当はどうしたいんだろう。
少しずつ、
誰かの正解ではなく、
「私はどう思う?」
と、自分に聞けるようになりました。
息子の不登校をどうにかしたくて始めたことが、
私自身を取り戻していく時間になりました。
そして、いろいろなことを学んでいくうちに、
今度は別の疑問が湧いてきました。
どうして今、
こんなに生きづらさを抱える子どもたちがいるんだろう。
発達について学んだとき、
私はびっくりしました。
子どもって、
大人が一生懸命「育てる」以前に、
遊びながら、
転びながら、
触りながら、
回りながら、
走りながら、
身体を使って、
勝手にたくさんのことを育てていたんです。
裸足でいろんなものを踏む。
土や砂や草に触れる。
ぐるぐる回る。
高いところに登る。
ぶら下がる。
押す。引っ張る。転ぶ。
昔なら、
子どもが遊んでいるだけで経験できたことが、
今はどんどん難しくなっています。
遊具が減った。
外で自由に遊べる場所も減った。
危なくないように。
迷惑をかけないように。
何かあってはいけないから。
もちろん、
そうなったことにも理由があります。
誰かが悪いわけじゃない。
でも、
子どもたちの発達に必要だったものまで、
社会の変化の中で少しずつ失われているとしたら。
身体の土台がまだ育っている途中なのに、
「もう○歳なんだから」
「ちゃんと座って」
「早く」
「みんなと同じようにやりなさい」
と、上の課題を求められ続けたら。
そりゃあ、
しんどくなる子がいてもおかしくないよね。
私はそう思うようになりました。
そして、
子どもが感じ取っているのは、
言葉だけではありません。
大人の表情や声、
その場の緊張感や空気も感じながら生きています。
親に余裕がない。
先生にも余裕がない。
でも、
親が悪いわけでも、
先生が悪いわけでもない。
親にも余裕がなくなる理由がある。
先生にも余裕がなくなる理由がある。
そうやって見ていったら、
不登校って、
本当に「この子だけの問題」なんだろうか。
そう思うようになりました。
子どもを知ろうとしたら、
自分が見えてきた。
自分を知ろうとしたら、
今度は社会が見えてきた。
だったら。
不登校を
「学校に行けない子をどうするか」
だけで終わらせるんじゃなくて、
私たちみんなが、
もう少し幸せに生きられる社会を考えるきっかけに
できるんじゃないだろうか。
私は今、
そこに希望を感じています。
不登校は苦しいです。
本人も苦しいし、
家族も苦しい。
だから、
不登校を美化したいわけではありません。
だけど、
こんなに苦しかった経験を、
苦しかっただけで終わらせたくない。
私は息子の不登校から、
自分を取り戻しました。
人とつながることも覚えました。
「助けて」と言うことも、
少しずつ覚えました。
だったら、この経験から、
誰かの幸せをつくることだってできるんじゃないか。
家庭だけの問題にしない。
学校だけの問題にしない。
子どもだけの問題にしない。
親も、先生も、支援者も、地域の人も、
それぞれの場所から一緒に考えたら、
今まで見えなかったものが
見えてくるかもしれない。
そんな思いで、
明日の講演会を開きます。
たくさんの方に、愛が届きますように。

不登校は"止まっている時間”ではなく、
“本当の自分を取り戻す"大切な時間。
あなたとお子さんが、その時間を安心して過ごせますように。
そのために、私はこれからも活動を続けていきます。
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